WRC2017/12/31

【TOP10-第1位】セバスチャン・オジエ

セバスチャン・オジエは2017年シーズンに行われた全250ステージのうちわずか14ステージをリードしただけで、5度目のタイトルを決めることになった。彼は2013年に初めてワールドチャンピオンになったときには、全240ステージのうち109ステージでベストタイムを獲得、このときのステージ勝利率45.42%は不滅のWRCレコードとなっているが、今年は史上もっとも少ない22回のベストタイムの王者となり、ステージ勝利率はわずか11%というこれもまた最低記録となった。

■セバスチャン・オジエ

これらのことからも2017年のオジエは史上もっとも遅かったワールドチャンピオンだったと例えることもできるだろうが、それでも4勝を挙げたティエリー・ヌーヴィルは24ポイントも及ばなかったのだ。ラリーキャリアの集大成ともいえる底知れない強さをもって、オジエは奇跡とも思えるこの防衛を成功させたのだ。

開幕戦モンテカルロでいい結果が出せるとはオジエも信じてなかったようだ。フォルクスワーゲンの撤退後、Mスポーツへの移籍が決まってからわずか1カ月、ほとんどテストができないままラリーをスタートした彼は、金曜日のオープニングSSでコースオフ、40秒を失い、新チームでの緒戦は前途多難なスタートになったようにもみえた。しかし、ラリーを引っ張っていたヌーヴィルが土曜日の夜にクラッシュするやオジエは首位に浮上、移籍後の初イベントを勝利で飾ることになった。

だが、この勝利にもかかわらず、彼はなかなか明るい気持ちはなれなかったと語っている。逆転の可能性に賭けたスウェーデンも最終日にスタートしてすぐにマシンに裏切られたたかのようにスピンして3位に終わることになった。オジエは新しいフィエスタWRCにポテンシャルがあると信じながらも、どこかでまだ自分のものになってないマシンに不信感を抱き、さらに頻出する技術的なトラブルに苛立ちをつのらせた。初めての本格的なグラベルテストとなったメキシコでは2014年以来初めて一番手のポジションでスタートしないグラベルイベントとなったがデフの問題から4位に終わり、油圧を失って優勝争いから脱落したコルシカ、いつまでも彼が唯一優勝した経験のなかったアルゼンチンでも気持ちを100%のせて走ることができないマシンで表彰台を逃すことになった。

ニューマシンを得たポルトガルではシーズン2勝目を飾って選手権の首位をキープしたが、コルシカとアルゼンチンで立て続けに勝利を飾ったヌーヴィルがポーランドで3勝目を挙げ、一時期38ポイント近くあった二人の差はわずか11ポイントへと縮まることになる。だが、オジエはそのことに焦りを見せず、難しいステージでもけっして無理をせずきっちりと表彰台を確保したことに十分目的を達成できたとふり返っている。

「僕はカミカゼのような特攻をかけたことは過去に一度も無い。僕は常に何よりも自分の感覚を信頼し、そしてもし自分が100%コントロールできていないと感じたら、無理にトライしないようにしてきた」。まさしくオジエのぶれないこの決断こそが、そのあとに待ち受けるシーズンの明暗を分けたと言ってもいいように思う。

オジエが全13戦のうち表彰台を逃したのはシーズンを通してわずか4回。グラベルラウンドでのマシンフィールに苦しんだアルゼンチンの4位、最悪の路面掃除に苦しんだサルディニアの5位、タイトル争いが決したあとのオーストラリアでの4位、クラッシュでリタイアとなったフィンランドのみだ。

フィンランドでノーポイントに終わったときには、さすがにシーズンの流れは変わったかにも思われた。オジエはドライバーズ選手権ポイントでヌーヴィルに完全に並ばれ、勢いに優るライバルを前にして終盤戦はさらに厳しい戦いになるようにもみえた。だが、この予想はすぐに裏切られる。

オジエは雨となったドイツでヌーヴィルと激闘を演じることになったが、二日目の朝、ヌーヴィルがサスペンションを壊して戦列を去り、さらにスペインでも連続してヌーヴィルがリタイアとなったことで戦局は完全にオジエに傾き、見事にチームのホームイベントのGBで5連覇を決めることになった。

これほどまで大接戦となったシーズンに勝ち、チャンピオンはすべてを出し尽くして擦り切れたかのように引退も選択肢の一つだと発言したこともあったが、彼はふたたび新しいシーズンもMスポーツとともにタイトルの獲得を目指すと宣言した。

フォードは技術的なサポートを約束しているが、それが実を結ぶまでは時間もかかるだろうし、相変わらず、チームの予算規模はほかのマニュファクチャラーとは決定的に違うものだろう。それでも彼はチームへの残留を選んだ理由について、「勝ち目のないと思われたチームから素晴らしいスタートを切り、そしてタイトルを勝ち取るという特別な瞬間を経験することになった」と語り、かつて味わったことがなかった「特別な感動」が気持ちを前へと突き動かしたと説明している。

かつてない厳しい戦いを制して勝ちとっただけに、そのタイトルはいっそう重みと輝く価値をもっているように思う。

生年月日:1983年12月17日(34歳)
選手権ランキング:1位
獲得ポイント:232点
ベストリザルト:1位
優勝回数:2回
2位の回数:3回
3位の回数:4回
表彰台回数:9回
出場回数:13回
ベストタイム回数:22回
リードしたステージの数:14SS
リタイア数:1回
ラリー2の回数:0回
パワーステージ勝利数:1回
パワーステージ獲得ポイント:36点