ERC2018/12/04

アクロポリス・ラリー、消滅の危機

(c)ERC

 67年の歴史を誇るアクロポリス・ラリーの火が消えようとしている。ギリシャのラフロードを舞台とした伝統の一戦は、来季、ヨーロッパ選手権のカレンダーからも外れ、さらに予算不足のために主催者のレへニック・モータースポーツ連盟(OMAE)はイベントのキャンセルを決定したという。

 アクロポリス・ラリーは、かつてはこのラリーを制するものは世界を制すると言われたほど、世界ラリー選手権における象徴的な存在だった。1981年にアリ・ヴァタネンがプライベーターとしてフォード・エスコートRS1800で初めてアクロポリスで勝利、その年のワールドチャンピオンに輝いて以降10年の間に7度にわたって勝者がその年のチャンピオンになったことから、勝者はオリンポスの女神に祝福を受けるというエピソードがすっかり定着することになった。

 アクロポリス・ラリーは、1926年に設立されたギリシャのモータースポーツ統轄団体「ギリシャ・ツーリング・カークラブ(ELPA=エルパ)」が1951年から開催したラリー・エルパとして始まった。2度の開催のあと1953年にELPAは大会名称をアクロポリス・ラリーへと変更、その3年後にはヨーロッパ選手権に加わり、1973年に世界ラリー選手権が誕生したときからカレンダーの一戦で行われてきた。
 
 しかし、2010年ごろからのギリシャ経済危機にともないELPAも多額の負債を抱えることになり、2013年に世界ラリー選手権の最後のイベントとして開催された際にはELPAから委託された民間のセレリタス社が事実上の運営を行っていた。

 アクロポリス・ラリーは2014年からヨーロッパ選手権の一戦として開催されて再建を図り、2015年からはOMAEがラミア市や民間企業からの協力を得て運営を行ってきたが、11月初めに発表された来季のヨーロッパ選手権カレンダーにアクロポリスの名前はなく、その将来が懸念されてきた。

 カーブレイカーラリーとして名高いアクロポリス・ラリーでの最多勝利記録をもっているのは、意外なことにマクラッシュの異名をもつコリン・マクレーだ。ミキ・ビアジオン、セバスチャン・ローブ、カルロス・サインツでさえ3回しか勝てなかったラリーで、マクレーは5回の勝利を飾っている。