WRC2020/04/06

ジョリークラブのアンジョリーニが新型肺炎で死去

(c)RALLY-X mobile

 ランチア・ワークスのサテライトチームとして栄光の時代を築いたジョリークラブの会長を務めていたロベルト・アンジョリーニが75歳で亡くなった。アンジョリーニは、脳卒中で倒れたあとで療養をしており、非公式な情報によれば新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の合併症によって天に召されたという。

 ジョリークラブは、ロベルトの父親であるマリオ・アンジョリーニが1957年にミラノで創立、息子のロベルトは1960年代の終わりに父親の事業を引き継ぎ、フィアット、アルファロメオなどと提携したモータースポーツ活動で実績を残し、1980年代からはランチアのセミワークスチームとしてイタリア選手権を中心に活躍をした。

 ジョリークラブは、ランチアのサテライトチームとしてグループB以降はトティップ・カラーのラリー037、デルタS4、ランチア・デルタを走らせてイタリア選手権だけではなく、世界選手権やヨーロッパ選手権でトップチームの仲間入りを果たすことになり、80年代後半からは世界選手権でもその名前を知らぬ者はなかったほどの栄光の時代を築いた。

 アンジョリーニは、経営者としてだけでなく才能を見つける確かなスキルを持った有能なマネージャーであり、ダリオ・チェラート、ミキ・ビアジオンといったイタリア黄金時代を築くドライバーを発掘したほか、1991年にはディディエ・オリオールとともにプライベートチームとして世界ラリー選手権優勝を達成している。

 ランチア・ワークスの最終年となる1992年にはジョリークラブが直接、マルティニ・レーシング・チームをマネージメントして世界選手権に出場、ランチアに最後のマニュファクチャラータイトルをもたらしている。

 ランチアがWRCから撤退したあともジョリークラブはWRCへの参戦を続けたが、そこには残念な結果が待っていた。1993年のシーズンには、カルロス・サインツがレプソル・カラーのデルタHFインテグラーレをドライブしたが、戦闘力は低く、けっきょく1年でチームはWRCから撤退、チームはマシンをフォード・コスワースRS 4x4にスイッチして、ジャンフランコ・クニコとともにイタリア選手権に出場したが詐欺事件にまきこまれるなどチーム運営は成功せず、けっきょくアンジョリーニは、1997年にチームを手放している。

 サインツは自身の公式SNSを通じて、アンジョリーニの残念な死を発表した。

「今日は、世界のモータースポーツ、アンジョリーニの家族、ジョリークラブに関わっていたすべての人にとって、悪い日になった。ロベルト・アンジョリーニが亡くなった。私たちの心は、世界からそして私たち全員から愛され尊敬されてきた彼とともにある。ユニークで並外れた人物だった。私たちの歴史の一部が部分も消えてしまった」

「不当なことが多すぎ、このようなことがあまりにも繰り返し起きている! 私たちは皆、破壊され、悲嘆に暮れ、意気消沈している。しかし、私たちがあなたに約束したように、あなたの貴重な言葉を思い出して、私たちはあきらめずに続けたいと思う。そして、私たちはこの魔法のような話を続けるつもりだ」