WRC2020/05/26

マーティン、僕が成長できたのはビーフのおかげ

(c)Toyota

 英国出身のスコット・マーティンはついに、世界で最も有名なコドライバーズクラブのメンバーシップを獲得した。スウェーデンでの成功により、彼はWRCラウンドで勝利した97人目のコドライバーとなった。

 マーティンとエヴァンスは昨年からコンビを組んでおり、ツール・ド・コルスで勝利まであとわずかのところまで迫ったが、最終ステージでアスファルトの縁石でタイヤをパンクしてマーティンの初優勝はおあずけとなっていた。しかし、今シーズンの第2ラウンドのスウェーデンでは二人はすべての罠を避けて表彰台のトップに立つことになった。マーティンにとってはWRC参戦132戦目の初優勝だ。

 彼が住むアンドラの家を取り巻く山の空気は言うまでもなく澄んでおり、サイクリングやサッカーへのこだわりは、マーティンを若く健康的に保つために役立っている。そのため、彼が今年39歳を迎え、コドライバーに取り組みはじめてすでに20年間が経過していることは驚きだ。

「僕は2001年にコドライバーを始めた」とマーティンは語った。「しかし、ラリーとクルマには、ずっと興味があった。父は自動車業界で働いていたので、若い頃は父が地元のイベントに連れて行ってくれた。学校にいた頃はサッカー選手になることが夢だったが、いつの間にかこれが夢になった」

 幸いにも、彼は同じくカンブリア出身のMスポーツ代表のマルコム・ウィルソンと家族ぐるみの親交があった。マルコムがフォードのWRCの取り組みを開始し、マーティンは当時のマルコム・ウィルソン・モータースポーツで働くチャンスに飛びついた。Mスポーツが誕生するすこし前のことだ。

「僕は1998年8月にラリーメカニックとしてマルコムの元で働き始めた」とマーティンは語った。「3か月の試用期間の後、トランスミッション部門に異動し、2005年にMスポーツを去るまでそこにいた」

 マーティンは、ウィルソンと働くだけでなく、息子のマシューと強い絆を築いた。「皆の想像に違わず、マシューは幼い頃からマシンに囲まれて育った。彼がフィールドの周りで何かをドライブするときはいつでも、僕は飛び乗り、僕たちは最終的にペースノートの練習を始めた」

「マシューがTカー(17歳未満のイギリスのレースシリーズ)で競争を始めて以降、僕は彼と一緒にいて、友情は成長し続けた。最初の2、3年はかなりの数のイベントで(他のドライバーの)コドライバーをしたが、2004年にマシューのコドライバーの機会が訪れたとき、僕はそのチャンスに飛びついた」

 マーティンは、自身がコドライバーとしてさらに成長できたのは、ビーフの愛称を持つマイケル・パークが大きな役割を果たしたていると語った。彼は2005年のラリーGBで事故により死亡した。

「本当に辛かった」とマーティンは語った。「ビーフを失ったことは大きかった。彼とマルコ(・マルティン)はMスポーツで数年ドライブしており、僕がメカニックだったときでも彼らは素晴らしかったし、彼らがタイヤの開発かなにかをしているときに2、3回、僕を乗せてくれた」

「しかし次第に、ビーフは僕にノートを読ませ始めた。彼は常にそこにいて、イベント前の準備やイベントの間もずっと近くにいた。彼はいつでもなんでも話すことができる存在だった」