英国出身の3人目のワールドチャンピオン獲得が期待されているエルフィン・エヴァンス。彼の父であるグウィンダフ・エヴァンスは、息子がその資質を備えていることをずっと前から気付いていたと語った。
グウィンダフ・エヴァンスは、1996年に英国ラリーチャンピオンに輝き、フォードとセアトのファクトリーチームのドライバーとして世界ラリー選手権にも挑んだが、表彰台には届かないままキャリアを終えている。
このスポーツのトップになるために必要なことは何か。グウィンダフは、wrc.comの「父と子」シリーズのインタビューにおいて、息子のエルフィンがそれを備えていることを以前から気付いていたと語った。しかし、それはどの程度の確証だったのだろうか?
グウィンダフは2011年に訪れたフィンランドで、息子の可能性をはっきりと悟ったと明かした。
「エルフィンはフィンランドでフィエスタR2を走らせていた」とグウィンダフは語った。
「イベントの直前にテストがあって、私は彼と乗ろうと言った。そして、びっくりしたよ。彼はすでにマシンを完全にコントロールしていた。今日のこの場所にたどり着くまでには長い道のりだったが、フィンランドのあの日に、本当に何かに到達したと思う。私はその時にエルフィンが本当に何かを持っていることに気付いた。マシンから降りたときに、彼には何かがあるとわかったんだ」。
その後の数年間にはたくさんの浮き沈みがあったが、エヴァンスの父は、彼がジェットコースターの両極端から学ぶことができると確信している。
「山も谷も、自分を強くしてくれる。問題を抱えて低い状態に陥ると、そこから改善したいと思い、そこから学ぼうとする。そして、高いところを経験すると、さらに高いところに行きたくなる」
エルフィンが生まれたときから、ラリーは彼の世界の中心にあった。父親が1989年のアルスター・ラリーで初めて英国選手権ラウンドの勝利を手にした時、彼は生後6ヶ月だった。グウィンダフがタイトルを獲得した時、彼は7歳だった。
しかし、彼の幼いころの記憶の中には、実はもう一人、英国ラリーのスーパースターがいる。コリン・マクレーだ。
「RACラリー(現在のラリーGB)のスウィートラム・ステージで、コリンが通過したときの火花を見たことを覚えている」とエルフィンは語った。「その頃、父がセアトのドライバーをしていて、テストの後にコルドバWRCを家のガレージに持ち帰って、一晩そこにあったことも覚えている」
ワールドラリーカーに座ることは、10歳の子供に大きな印象を残すだろう。エルフィンにとってそうだったことは間違いない。しかし、彼が4輪駆動マシンやターボチャージャーのパワーを自分で楽しむようになるのは、しばらく先のことだった。
「父は、僕たちのやり方にかなり厳しかった。次のマシンに移る前に、そのマシンの限界に達したことを証明しなければならなかった」
その常識的なアプローチが功を奏した。「彼は常に前進していた」とグウィンダフは語った。「マイクラからフィエスタへ、そしてフィエスタSTからR2へと進んでいった」
エルフィンは、2012年にはフィエスタR2でWRCアカデミー・ラリーカップ(現在のジュニアWRC)で5戦中4勝を飾ってタイトルを獲得、Mスポーツとの契約が決まったとき、グウィンダフは自身が息子のためにできる仕事が終わったことを感じとったという。
とはいえ、父が息子のためにできる仕事はまだまだ今も十分に残っている。グウィンダフはWRCのターマックラウンドで息子のグラベルノートを担当するなど、父と息子は今でも密接に仕事をしている。