先週末に行われた英国ラリー選手権のジム・クラーク・ラリーにおいて、コドライバーのダイ・ロバーツ(写真左)が事故で亡くなった。39歳だった。
英国にとって悲劇的な一日となった。アクシデントはジム・クラーク・ラリーの土曜日、SS8で発生した。ジェームズ・ウィリアムズがドライブするヒョンデi20 N Rally2が横転、コドライバーのダイ・ロバーツが死亡した。ウィリアムズもこの事故で負傷し、病院へ搬送されたが、命に別状はない。
スコットランド警察によると、ロバーツは現場で死亡が確認された。この事故を受け、イベントは直ちに中止された。
モータースポーツUKは次の声明を発表した。「モータースポーツUKは、ダイの家族と友人、ジム・クラーク・ラリー、ジム・クラーク・メモリアル・モータークラブ、そしてモータースポーツ・コミュニティのメンバーに哀悼の意を表する」
「モータースポーツUKは事故の状況について徹底的な調査を開始しており、ジム・クラーク・ラリーの主催者およびジム・クラーク・メモリアル・モータークラブと緊密に連携し、関係当局と協力していく」
ダイ・ロバーツ自身、すでに深い悲しみを経験したラリーファミリーの一員であった。彼の1歳年下の弟であるギャレス・ロバーツ(写真右)は、2012年のタルガ・フローリオ・ラリーで、クレイグ・ブリーンが運転するマシンがコースオフした際の事故により命を落とした。また、そのブリーンも2023年に、クロアチア・ラリーのテスト中に亡くなっている。
“ジャッファ”という愛称で呼ばれていた弟の死は、ダイ・ロバーツにとって胸が張り裂けるような出来事だったはずだ。しかし、彼は絶望に打ちひしがれていたブリーンに向け、「弟の思いがブリーンとともにこれからも走り続くように」と復帰を説得し、ブリーンが事故後に初めて出場したラリーで、コドライバーを務めた。
しかし、それから2年後、ダイ・ロバーツはアルスター・ラリーにおいてドライバーのティモシー・キャスカートとともに激しいクラッシュに見舞われ、キャスカートはその負傷により亡くなった。ラリーという競技はダイから多くを奪った。しかし、それらの出来事を機に、彼は兄の名を冠した「ギャレス・ロバーツ基金」を設立し、長年にわたって、ラリー競技中の負傷による後遺症で苦しむ数えきれないほどの競技者を支援してきた。彼は他者に手を差し伸べることを決してやめなかった。
ダイ・ロバーツは、勤勉で、忍耐強く、そして必要な時に機転を効かせることができる有能なコドライバーとして知られ、2022年、ウィリアムズとともに英国アスファルト・ラリー選手権を制しているが、こうした成績だけではなく、自身に降り掛かった極限の逆境に直面しながらも、事故で苦しむ人々を救うために尽力してきた温かい人物だとして知られている。この悲報を受けて以降、ソーシャルメディアには追悼と感謝の書き込みで溢れている。