WRC2021/06/22

ザサダ、史上最年長WRC出場者の熱い思い

(c)M-Sport Poland

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 91歳のソビエスワフ・ザサダは、今週6月24日から27日にかけて開催されるサファリ・ラリー・ケニアにおいて、FIA世界ラリー選手権をスタートする最高齢の競技者として歴史に名を残すことになる。

 現在の記録保持者はノルウェー出身のレイフ・ヴォルド-ヨハンセンで、1994年のラリー・モンテカルロに82歳と83歳の誕生日をまたいで参戦した。彼はフォルクスワーゲンのゴルフGTI 16Vをドライブしたが、残念ながらリタイアとなった。

 ポーランド出身のザサダの最後のラリーは1997年のサファリだった。このアフリカの伝統の一戦に三菱ランサーエボリューションで妻のエワと一緒に出場して12位でフィニッシュしたが、それから24年が経過し、モータースポーツで最も有名で最も過酷なチャレンジとして復活したサファリで再びステアリングを握る。

 ザサダは1972年のサファリでポルシェ911Sを駆って2位に入賞しており、19年ぶりにWRCへ復帰した今回のサファリでは、Mスポーツ・ポーランドがプリペアするフォード・フィエスタRally3を駆る。

 彼は1966年と1967年、1971年にヨーロッパ・ラリー選手権で3度優勝し、さらに3度の準優勝を果たすなど、輝かしい経歴を持っている。彼のキャリアの多くは、1973年にFIA世界ラリー選手権が発足する以前のものであり、当時、ヨーロッパのタイトル保持者は事実上の世界チャンピオンとみなされていた。

 ケニアのグレート・リフト・バレーで開催される4日間のイベントに向けてナイロビに向かう前に、ザサダはポーランドでこの新しいマシンのテストを行っている。WRC公式サイトのwrc.comが行ったインタビューのなかで、ザサダはサファリへのチャレンジした理由を聞かれ、この挑戦に魅入られていると語っている。

―なぜ、再びサファリ・ラリー・ケニアを走ろうと思ったのですか?

「サファリ・ラリー・ケニアは素晴らしいラリーだと思っている。これまでに8回出場し、最後は1997年だ。このラリーが現在どのようになっているのか非常に興味があり、それで行くことにした」

―どのような挑戦になると思いますか?また、目標は?

「これが挑戦であることは間違いないので、私の目標は純粋にゴールにたどり着くことだ」

―前回の参戦から24年後にサファリに戻ってくることは、感慨深いですか?

「かつての非常に難しかったラリーと今を比較することは難しいので、感情について語ることはできない。当時の私は、最高で6000kmをノンストップで走っていた!とても難しいラリーだった。1972年に行われた最長の6480kmのサファリ・ラリーでは2位に終わった。優勝者はターゲットタイムから9時間以上も遅れていた。3日3晩、休みなしで走り続けた。お茶を飲んでいたおかげで、とても助かった!」

―孫のダニエル・クウィストも今回のサファリ・ラリーに(フォード・フィエスタRally2で)出場するそうですが、彼にアドバイスはありますか。

「私は、孫が12歳のときに運転を教えた。最初から、最も重要なことは正しい速度でフィニッシュすることだと教えてきた。ダニエルの運転はとても上手で、私たちはラリーやドライビングテクニックについてよく話をする。下の孫であるアルトゥールも非常に優れたドライバーで、KTM GTXカーをドライブして24時間シリーズに出場している」

―あなたはこれまでに8回もサファリを走っています。何があなたを惹きつけてやまないのでしょうか?

「挑戦することだ。かつてのサファリは、世界でも最も難しいラリーだった。1997年のものでさえ、1960年代のものより簡単だった。当時のラリーは、耐久力やコンディションの点で、現在のラリーの3倍、4倍は難しかったと思う。24年前でも1000km以上のSSがあったが、時間内に完走できなかった700kmほどのSSも2つあった」

―サファリで成功するための秘訣は何ですか?

「ドライバーが速く、上手に走ることだ。過去のラリーは、スタートからフィニッシュまでがレースだった。それらのラリーでは、サービスポイントがなくても(競技区間でもサービスが認められていた)、できる限り速く走ってトップに立つ必要があった。今は違っていて、サービスポイントはたくさんではないが、SSもずっと短くなっている。今年のSSは全部で18ステージ、総距離は320kmだ」

「私のキャリアでは、南米一周のように3万キロにも及ぶラリーもあった。ロンドン〜シドニーは1万6000kmを超え、オーストラリアのパース〜シドニー区間では6000kmのノンストップ走行が含まれていた。少しでも挽回すれば、1時間でも2時間でも休めるようになっていた」

―サファリの一番の思い出は何ですか?

「強烈な思い出は、1972年のアクシデントで、かなりの時間をロスしたことだ。そのとき、ファクトリーのフォード3台に抜かれてしまったが、すぐに2台を抜き返すことができた。当時のトップ選手であるヴィック・プレストンJrとティモ・マキネンだ。最終的に私が2位となり、優勝したのはフォードのハンヌ・ミッコラだった」

「当時の私は、現在の世界ラリーカーに相当する最高峰クラスに参戦していた。私は、シュタイア・プフ、ポルシェ、BMW、メルセデス・ベンツのファクトリードライバーとして、東欧諸国から唯一のドライバーとして参加していた。今年のラリーでは、私は単なるアマチュアだ。今はどんなラリーなのか見るのを楽しみにしている」