WRC2015/05/28

Mr.SAABエリック・カールソンが死去

(c)Rally GB

 かつてミスター・サーブと呼ばれたラリーレジェンド、エリック・カールソンが5月27日、86歳で死去した。

 スウェーデン出身のカールソンはまだ世界ラリー選手権が誕生するはるか以前の1950〜60年代にサーブとともに国際舞台で数々の栄光を成し遂げた伝説のドライバーの一人で、ラウノ・アールトネン、パディ・ホプカーク、ティモ・マキネンに続く史上4人目としてラリーの殿堂に名前を連ねている。

 カールソンの名前が一躍ヨーロッパで知られるようになったのは、57年の1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)での優勝だった。その2年後の59年にはラリー・スウェーデンで優勝、RACラリー(現ラリーGB)も60〜63年に3連覇、ラリー・モンテカルロも62年と63年に2年連続で優勝したほか、61年にはアクロポリス・ラリー、64年にはサンレモ・ラリーの優勝など、数え切れないほどのメジャーイベントでの勝利を経験している。

 59年には彼にとってのもっとも大きなタイトルになるはずだったヨーロッパ・チャンピオンの栄光を、最終戦のラリー・ポルトガルの不条理ともいえるペナルティで失うことになったことはあまりに有名だ。黒いゼッケンサークルに白いカーナンバーを入れていた彼は、白いサークルに黒いナンバーを入れるという規定に違反しているとして、3位の表彰式直前に25ポイントのペナルティを科せられ、さらに表彰式になってからさらに25ポイントを科せられて、順位を落とすとともに王座を失うことになったのだ。その理由はドアの枚数に応じたペナルティを加算するという理不尽なものだったという。

 カールソンは激しい走りで何度かマシンを横転させてルーフを下にしてストップすることが多かったことから、「Carlsson on the roof(屋根の上のカールソン)」という異名で呼ばれていた。これはスウェーデンで子どもたちのために書かれた同名の童話にちなんだものだったが、彼はこのニックネームを気に入り、後年、自伝のタイトルにもこのキャッチフレーズを使用している。

 1929年にスウェーデンに生まれたカールソンは、63年にF1ドライバーのスターリング・モスの妹であるパット・モスと結婚後はイギリスに居を構えていた。パット・モスもまたヨーロッパ・レディースカップを5回獲得したほどの腕をもつラリードライバーだったが2008年に他界している。