WRC2022/12/31

【TOP10-第2位】オイット・タナク

「最後までタイトルのために戦った」

■オイット・タナク

Ott Tanak
Hyundai Motorsport

オイット・タナクはシーズン後半の7戦ではワールドチャンピオンのカッレ・ロヴァンペラを33ポイントを上回るペースで追い上げたが、残念ながら3年ぶりの王座にはとどかなかった。前半戦におけるさまざまなメカニカルトラブルさえなければ、タイトル争いは終盤戦までもっと白熱したものになっていただろう。

2020年にヒョンデに来て以降、タナクのモンテはいつも不運だ。3年前のデュランス渓谷のヒヤリとさせたアクシデント、あるいは去年のダブルパンク、今年もフォンベル峠の雪道のクラッシュで3年連続のノーポイントでシーズンをスタートすることになった。

タナクはスウェーデンでは今季から導入されたハイブリッドユニットのトラブルによる不運なリタイア第一号となり、あっと言う間に選手権リーダーのカッレ・ロヴァンペラに41ポイントもの大差を付けられてしまった。

サルディニアで待望の今季初勝利を飾ったが、ケニアではプロペラシャフトを壊してまたもノーポイントに終わることになった。タナクはリタイア後、これがサファリの荒れたコンディションが原因ではなく、ただのメカニカルな問題だと首を横に振ったが、ヒョンデi20 N Rally1の相次ぐ信頼性不足によるトラブルが選手権における致命的な敗因となってしまった。

前半戦の6戦を終えてタナクはロヴァンペラから83ポイントのビハインドと絶望的な状況となり、フィンランドとベルギーで2連勝を飾って追い上げたが、王座には届かず、選手権では最終的に50ポイント差の2位に終わることになった。

ヒョンデから離脱発表は、数年前に彼がトヨタを辞めたときと同様に突然のことだった。タイトルのチャンスがまだまだ残されたギリシャで、チームはチームオーダーによってラリーをリードするティエリー・ヌーヴィルを優勝させることを選び、2位につけていたタナクを落胆させることになった。

タナクはこれで7ポイントを失い、そのことによりロヴァンペラを追うチャンスは完全に奪われたが、どこまでもタイトルを目指す選択をチームが貫かなかったことは彼を完全に失望させたはずだ。その瞬間に彼の選手権もタイトルのために戦うというチームとの契約は終わったのだ。

正直なところ、タナクはこうしたいと思ったときにはとても頑固で自身の考えを曲げようとはしない男だ。そのような強い意思をもつドライバーこそ、最高の結果を求めるチームにはふさわしいことははっきりとしている。トヨタ前のチーム代表であるトミ・マキネン、あるいはヒョンデの前チーム代表であるアンドレア・アダモもそう考えたはずだ。

タナクは、トヨタではマキネンとは険悪だったし周囲をヒヤリとさせるほどぶつかったが、実はタイトルを取るためにすべてを注ぐという点で二人は誰よりも理解しあっていた。タナクとアダモの関係もまたとてもうまくいっていた。二人ともにタイトルを取るために必要な努力を100%厭わなかったが、奇妙なことにそれゆえに二人とも相次いでチームを去ることになってしまった。

さまざまな憶測のあと、タナクは新しいシーズンを古巣のMスポーツ・フォードに戻ることを発表、マネージング・ディレクターのマルコム・ウィルソンのもとで2度目のワールドタイトルを狙う道を選んだ。タナクは自分はウィルソンの息子であり、チームがホームのようだと認めている。しかし、これは見せかけだけの仲良しのファミリーではない。最高の結果を狙うためにお互いに全力を尽くすという契約だ。

「(ウィルソンは)もちろん僕がなぜ戻ってきたのか、僕が何を意図して戻ってきたのかを分かってくれている。僕は楽しむために来たんじゃない、しっかりとスポーツをするために来たんだということを、彼はとても良く分かっている」とタナクは述べている。

生年月日:1987年10月15日(35歳)
選手権ランキング:2位
獲得ポイント:205点
ベストリザルト:1位
優勝回数:3回
2位の回数:3回
3位の回数:2回
表彰台回数:8回
出場回数:13回
ベストタイム回数:43回
リードしたステージの数:48SS
リタイア数:2回
ラリー2の回数:1回
パワーステージ勝利数:4回
パワーステージ獲得ポイント:32点