WRC2025/07/10

ジョリークラブを率いたボルトレットが71歳で死去

(c)ACI Sport

 ジョリークラブが世界ラリーの頂点へと上り詰める上で欠かせない存在だった名将のクラウディオ・ボルトレットが、71歳で逝去した。ボルトレットは、闘病の末、火曜日にこの世を去った。
  
 イタリア・ヴェネト州出身のボルトレットは、伝説的なジョリークラブで頭角を現し、瞬く間に出世してイタリア屈指のラリーチームでスポーツディレクターを務めるまでになった。

 ボルトレットの指揮の下、ジョリークラブは通算150以上の勝利を挙げ、イタリアおよびヨーロッパ各地で数々のタイトルを獲得した。最も印象的なのは、2度にわたるマニュファクチャラーズ世界選手権制覇だ。最初のタイトルは、1987年に初開催されたFIAプロダクションカー・ドライバーズカップで手にした。
 
 そしてジョリークラブがランチアのワークスチームであるマルティニ・レーシング・チームの運営を委託された1992年には、ユハ・カンクネンとディディエ・オリオールがランチアHFインテグラーレを駆ってマニュファクチャラー・タイトルへと導き、チームに最大の栄光をもたらした。

 1990年代半ばにジョリークラブが解散した後も、ボルトレットはラリーに深く関わり続け、ACIスポーツでイタリア・ラリー選手権の責任者を務め、後にWRCイタリアラウンドの運営チームにも加わった。

 Mスポーツ・フォードの創設者であり、FIA副会長(スポーツ担当)を務めるマルコム・ウィルソンは次のように語っている。

「彼と仕事ができたことを何よりも光栄に思う。彼は私が常に尊敬していたチーム代表であり、そのスタイル、情熱、そしてプロ意識にはいつも感銘を受けていた」

「彼は私に、ウィルソン・モータースポーツが製作したマルティニ・エスコートをサンレモ・ラリーでドライブする機会を与えてくれた。彼のチームで着用していたマルティニのオーバーオールは、今でも大切に保管している。そして、あの特別なマシンが私のコレクションに戻ってきた今、彼のことを忘れることは決してないだろう」

「天国でも、皆にあなたのスタイルを見せてあげてほしい、クラウディオ」
 
 サインツのコドライバーとしてワールドチャンピオンに輝いたことがあるルイス・モヤも追悼の言葉を寄せた。

「私たちは偉大な人物を失った。彼はプロフェッショナルとしてだけでなく、人間としても偉大な人だった。1993年に彼と共に仕事ができたことは、本当に素晴らしい経験だった。彼は素晴らしい人格と信じられないほどのカリスマ性を持っていた」

「私にとって大きな喪失だ」と、かつてジョリークラブで若手メカニックとしてボルトレットの下で働いていた元ヒョンデ・モータースポーツ・チーム代表のアンドレア・アダモは語った。「彼がモータースポーツ界とラリー界にもたらした貢献は計り知れない。本当に大きな損失だ。彼には多大な恩義を感じている」
 
  WRC公式サイトのwrc.comでは「WRCコミュニティは、クラウディオ・ボルトレットのご家族とご友人の皆様に、心より哀悼の意を表します」とのメッセージを掲げている。