WRC2021/02/15

ラトバラ、チーム代表就任後初のラリーに復帰

(c)Jari Matti Latvala

 ヤリ-マティ・ラトバラは、トヨタGAZOOレーシングWRTの新しいチーム代表に就任後、先週末、初めてドライバーとしてマシンを駆っている。彼は、先週末にフィンランドで行われたマシカメン・ラリーに、ラトバラ・ファミリーが運営するチームからエントリー、父親のヤリ・ラトバラとともにトヨタ・セリカGT-FOUR ST-165の2台体制で出場した。

 現役のトップドライバーからの引退を表明したラトバラだが、ラリーカーのドライブを断つつもりはなかった。ラトバラ家の父と息子は、土曜日に行われたフィンランド・ヒストリック・ラリー開幕戦のマシカメン・ラリーで17年ぶりに同一のマシンで直接対決した。

 元チームメイトであり、チームのテストドライバーであるユホ・ハンニネンとコンビを組んだヤリ‐マティは、5.99kmという短いオープニングステージで平均速度141km/hオーバーという最近のWRCでも見たことがないような驚異的なスピードで首位に立つことになった。

 ちなみに同じ週末にはエストニアでオテパー・ウィンター・ラリーが行われ、ヒュンダイのオイット・タナクが最新のヒュンダイi20クーペWRCで優勝を飾ったが、もっとも速かったステージの平均速度135.5 km / hであり、それを遥かに上回る速さだった。

 ヤリ‐マティはライバルたちの格の違いを見せてスタートからリードを拡大することになり、4SS/53kmのラリーを終えて2位のヴィル・ハウタマキ(三菱ランサーエボリューション)に1分59秒もの大差をつけて圧勝することになった。

「ユホとても楽しいイベントを走った。素晴らしいウインターコンディションとなったマシカメン・ラリーのヒストリッククラスに僕らは出場した。父も同じマシンで出場した」とヤリ‐マティは語った。「ルートはそれほど長くはないが、ステージは最高のコンディションだった」

 父ヤリは、ヤリ-マティにとってもう必要がなくなったトヨタのレーシングスーツを着て出場、3分56秒遅れの11位に終わっている。

「僕と父は2004年にフィンランド選手権イベントで二人ともカローラWRCをドライブしました。あのとき、僕は1999年のマシンを持っていて、父は1998年のカローラをドライブしたんだ」

 マシカメン・ラリーが終了し、週が明けたらヤリ-マティは再びチーム代表としての職務で忙しくなる。彼は、月末に行われるWRC第2戦のアークティック・ラリー・フィンランドに向けても興奮しているようだった。

「フィンランドでWRCラウンドを2回開催されることをとてもうれしく思う」とヤリ-マティは語った。

「20年前、雪が保証されるWRCラウンドができるのはとても素晴らしいことだと彼らが言っていたのを覚えている。もちろん我々はこの機会をラップランドでと常に考えてきた」

「これは絶対に起こらないと思っていたが、この機会が開かれ、選択肢が選ばれることが可能となったので、冬と夏のラリーでラップランドでこのイベントを開催することができる!」

 ラトバラは、ロヴァニエミで開催されてきた56年の歴史をもつアークティック・ラップランド・ラリーに一度だけ参戦したことがある。

「2006年に、僕は(トヨタ・カローラWRCで)アークティック・ラリーをドライブしていた。良い思い出と悪い思い出がある。アークティック・ラリーの典型的な特徴は、長い、長い、長いコーナーだ。序盤はそこで十分に速くドライブすることができず、なかなか自信が持てなかったが、最終的にリズムを掴んだ。と思ったら、スノーバンクに突っ込んだ。私は1時間シャベルで削ってマシンを掘り出した!」

「こうしたことはラップランドではよくあることだ。スノーバンクにたくさんの雪がある可能性があり、マシンに大きなダメージはないが、コースに戻ってくることはない。これがこのラリーの特徴だ」