フランスを代表する伝説のドライバーであるフランソワ・デルクールの17歳の息子であるエリオット・デルクールが、先週のラリー・モンテカルロのRC4クラスで圧勝を飾り、その才能が早くも世界的に注目されている。
父フランソワが1984年のラリー・モンテカルロ(総合67位、A5クラス4位)に小さなタルボ・サンバ・ラリーでWRCにデビューして注目されたときから40年以上経ち、彼の息子エリオットはわずか17歳でモンテカルロに出場、オペル・コルサRally4を駆ってRC4クラスで圧倒的な勝利を収めることになった。また、エリオットは、経験豊富なデニス・ジローデを伴いアルピーヌ A110 RGTで出場したラファエル・アスティエに次いで2輪駆動マシンで2位フィニッシュを果たし、ウェットとアイス、そして泥が路面を覆う非常に難しい週末となった今年のモンテカルロでその才能を世界に初披露した。
エリオットは、金曜日の最終ステージのパンクで3分あまりを失ったにもかかわらず、一度も首位を譲ることなく快走を続け、最終的にプジョー208 Rally4を駆るイタリアのマルコ・オルドラーティに7分35秒の大差をつけてRC4クラス優勝でモンテ・デビューを飾ることになった。
「全体的にはかなりうまくいきました。最終日の朝はスペシャルステージのコンディションが非常に変わりやすかったし、荒れていたので無理して攻めませんでした。2つ目のステージでは、非常に良いグリップがありましたが、グリップを失った数か所ではひやりとさせられました。しかし、僕らは最後まで確実にゴールしようと努力し、それがあまりうまくいったと思います。そしていいタイムでゴールすることができた。そして、最終ステージのチュリニ峠では、父の話を思い出してとても感動しました。それは僕のなかに熱い何かを引き起こしました」
エリオットの父、フランソワ・デルクールが1991年にチュリニ峠で見舞われたドラマは多くのラリーファンの記憶に残っているだろう。初めてフォード・ワークスに起用されたこのイベントで、まだ世界的には無名だった彼の名前は当初、多くの人が発音さえ知らないほどだったというエピソードがあるほどだった。
しかし、フォード・シエラRSコスワース4x4を駆った彼は、雪深いブルゼで初のステージウィンを飾って2日目を2位で迎えるや、残り3ステージで前年王者のカルロス・サインツを抜いてトップに立つと、初優勝への期待はさらにふくらむことになった。しかし、運命のチュリニ峠のステージでリヤサスペンションの故障で3位に転落し、彼はまるで子どものように泣きじゃくっていた。
フランソワのモンテ初優勝はそれから3年後の1994年にエスコートRSコスワース4x4で成し遂げられることになった。
エリオットの表彰台には、フランソワとともに彼の妻であるプリシラ・ド・ベロイも祝福に駆け上がっている。プリシラも元フランスを代表する期待の女性ドライバーだった。1994年からラリーキャリアをスタート、雑誌などのモデルのかたわら、プジョーフランスの支援によってフランス選手権などに出場した経歴をもっている。
フランソワは息子のお気に入りのラリーでオープニングを務め、タイヤ選びを手伝い、非常に賢明なアドバイスをたくさん与えており、妻のプリシラは息子が本格的にラリーキャリアに取り組んだ昨年のルーマニア選手権ではコドライバーを務め、ステージママとして英才教育を行ってきた。
エリオットは、最大のピンチとなった金曜日のパンクのパンクについても冷静にふり返り、父フランソワの当時とはまったく異なる好青年の受け答え、17歳のラリードライバーとしては非常に成熟していることでメディアを驚かせたようだ。
「特にループの終わりは路面が汚れてかなり複雑でした。残念ながら最後のスペシャルでパンクしてしまったことは少し残念でしたが、僕たちは冷静さを保ち、最後までやり遂げたいという気持ちを忘れないようにしました。路面は二輪駆動車には適していませんでしたが、僕は失敗から学び、少し苦しみながらも前進し続け、ベストを尽くそうとしました」
「僕たちは4日間あらゆる状況に耐え、オペルにも傷一つつけずにクラス優勝を果たし、同時に上位クラスと定期的に競い合うことができました。これ以上の夢を見るのは難しいけど、僕はまだ17歳だからね!」
多くのラリー関係者が早くもエリオットの才能に注目しており、史上最年少の19歳で表彰台を獲得し、最年少の20歳でのWRC初優勝を飾ったカッレ・ロヴァンペラの記録を塗り替える可能性を秘めているとの期待もあるが、デルクールは「エリオットには才能があるのは明らかだが、まだしばらくは注意深く見守る必要がある」と慎重な考えを示しているという。