トヨタがホームイベントである日本での世界ラリー選手権で1-2-3優勝を飾った。これは1973年にWRCが誕生して以来、わずか10回目の快挙だ。
トヨタは7月のサファリ・ラリーでも信じられない偉業を達成した。WRCラウンドの1戦で、同一マシンが1位から4位までを独占することは、50年を超えたWRCの歴史でわずかに14回目の出来事だったが、それを2年連続で同じイベントで成し遂げることはそれまで例がなかったことだ。
トヨタは先週末の母国戦ラリー・ジャパンで1-2-3勝利を飾ることになった。1年前に日本でヒョンデに敗れた雪辱は表彰台を総なめという快挙によって果たすことになった。これによりトヨタは、母国ラウンドにおいて表彰台を独占したマニュファクチャラーの一員となった。
初めてホームイベントで同一マシンが表彰台を独占したのは、アルピーヌ・ルノーだった。史上初のホームでの1-2-3フィニッシュは、1973年に初開催されたWRCの最終戦ツール・ド・コルスにおいて達成されることになった。
もっともこの記録が多く達成された国はイタリアだ。ランチアほど母国で成功を収めたマニュファクチャラーはなく、これまでに12勝をラリー・サンレモで挙げている。ランチアが初めてラリー・サンレモでWRC1-2-3フィニッシュを達成したのは1976年のことだ。さらにランチアはそれ以降、1983年、1988年、1991年にも表彰台を独占している。
ランチアは1986年にもデルタS4で1-2-3フィニッシュを記録しているが、プジョーのサイドスカート不正による失格騒ぎでFISA(FIAの前身にあたる)がイベント結果は無効と判断したため、1986年のサンレモはWRCイベントとしてカウントされないことになった。
また、イタリアの母国イベントを制覇したのはランチアだけではない。1976年にランチアが母国で表彰台を独占したその1年後、フィアットがサンレモで1-2-3フィニッシュを飾った。
イタリア・メーカーのWRC黄金期から2000年代になるとプジョーの時代になった。しかし、プジョーは2002年のツール・ド・コルスで最初で最後の表彰台独占を果たしただけだ。9度のマニュファクチャラー王座に輝いたシトロエンも母国フランスでの表彰台独占は2010年のラリー・フランス・アルザスのたった1回に終わっている。
2010年代半ば、フォルクスワーゲンはシトロエンのあとを次いでWRCで一時代を築いたが、しばらくの間、その母国ドイツのラリー・ドイッチュランドではなかなか勝てなかった。VWはデビューイヤーの2013年でさえ13戦のうち10勝を挙げたが、その年にはドイツで表彰台に上ったマシンはなく、2014年にはドライバーズタイトルを争っていたセバスチャン・オジエとヤリ-マティ・ラトバラがクラッシュする最悪の結果となった。それでもVWは翌2015年にはオジエ、ラトバラ、アンドレアス・ミケルセンの3台で表彰台を独占した。
8年ぶりの母国ラウンドでの1-2-3勝利は、先週末、トヨタがホームイベントのラリー・ジャパンで果たすことになった。トヨタは今季、サファリ・ラリーでも1-2-3を達成しており、王者の強さを誇るかのように最終戦ジャパンでシーズン2度目の1-2-3を果たすことになった。
信じられないような難しいコンディションの中、エルフィン・エヴァンスが首位に立ち、新旧世界チャンピオンのチームメイトであるオジエとカッレ・ロヴァンペラがその後に続き、トヨタに夢のような結果をもたらした。