APRC2015/11/27

高山 仁のFIAアジアカップ王者が決定

(c)APRC tv

 FIAアジアカップの最終戦インド・ラリーのエントリーが締め切りとなり、FIAアジア-パシフィックラリー選手権の競技者からエントリーがなかったため、2015年アジアカップの総合優勝は、ポイントリーダーの高山 仁とコドライバーの竹藪英樹に決定した。

 アジアカップで高山に挑戦する可能性が唯一残されていたドライバーはニュージーランド出身のマイケル・ヤングだったが、クスコ・レーシングチームはインドに出場しないことを選択したため、高山に王座が決定した。

 Immensモータースポーツのスバル・インプレッサWRX STIでアジアカップに初挑戦した高山は、すべてのイベントをフィニッシュし、2015年に争われたアジアカップの3つのイベントでステージの大半を勝利するなど、勝者に相応しい走りを見せた。日本とは気候や路面コンディションが大きく異なる初戦マレーシアで3位、ラリー北海道では2位となり、中国ではアジアカップ初優勝を飾っていた。

 ニュースを聞いた高山は、「アジアカップのタイトルを獲得できて非常にうれしいよ。しかし、それは幸運とチームの努力によるもので、僕の力ではない。そのため、僕はより強いラリードライバーになるために一層努力しなければならないと感じている。(アジアカップの)ラリーに勝利できただけでなく、僕のラリーキャリアの中で初勝利をあげた場所なので、中国は僕の好きなイベントになったよ」と語った。

 アジアカップには、マレーシアで優勝した元APRCチャンピオンでMRFのシュコダ・ファビアS2000を駆るガウラブ・ギルなど、手強いライバルたちが出場していたが、ギルは北海道と中国のリタイアで脱落、高山の一番のライバルとなったのは、2013年のアジアカップ王者でニュージーランド出身のヤングだった。

 ヤングは中国で横転したことによって、高山に22ポイントのリードを許していたが、このときのマシンのダメージがあったことから最終戦インドへの出場を諦めることになったようだ。

「僕たちはインドで競争するのを楽しみにしていたが、しかし、チャイナラリーの後、僕たちのマシンにはロールオーバーに起因する深刻なダメージがあった。そんな時に、さらに他のAPRCの競技者が誰もインドに出場しないことを耳にした。僕たちは(アジアカップに勝利するポイントを獲得するためには)イベントをフィニッシュしなければならなかったが、その方法でアジアカップを獲得しても、それはむしろうわべだけの勝利だっただろう」とヤングは語った。

「これによって高山さんにアジアカップが渡ることになったが、彼は王者に完全に値する。彼はとても上手くドライブし、3つ全てのイベントをフィニッシュした。もちろん、僕は来年、彼とまた大きな戦いが出来ることを楽しみにしているよ!」