WRC2022/02/25

マクレー・キマティ、初めて雪のラリーに挑戦

(c)M-Sport

 1995年のWRCチャンピオンであるコリン・マクレーにちなんで名付けられたマクレー・キマティは、ジュニアWRC初挑戦に向けて準備を進めている。彼の父親のフィニアス・キマティはサファリ・ラリー・ケニアのCEOであり、コリン・マクレーが唯一の世界タイトルを獲得するより1年前に息子にこの名前を授けている。

 キマティは先週、ノルウェーで行なわれたテストで生まれて初めて雪を見たにもかかわらず、今週のラリー・スウェーデンに参戦することになるため、彼にとって難しいイベントとなることは間違いないだろう。彼がアフリカ以外の国でラリーに参戦するのは今回が初めてであり、クレイグ・ブリーンにスノードライビングのレクチャーを行ったときに、そのテストコースが凍った湖で、夏には溶けてしまうことを説明しなければならなかったようだが、キマティは新しいチャレンジに目を輝かせていた。

「小さい頃、15歳か16歳の頃、父のスバルを敷地内でクラッシュさせた」とキマティは語った。

「理想的なキャリアのスタートとは言えない。でも、幸いにも無傷で済んだ。思い出したくない思い出のひとつだ!」

 実際、キマティは、ラリーキャリアにおいて、少し不運なスタートを切った。当初は技術よりも熱意が顕著で、自分の名前の由来となった男と同じニックネームを継承していたほどだ。

「始めたばかりの頃は、どちらかというと『マクラッシュ』のキャリアだった」とキマティは語った。「もちろん、若い頃というのは速く走りたいものだが、経験も少ないので、最初のころはよくクラッシュしていた。6、7カ月休んで頭を整理し、自分を取り戻した」

 キマティは、20歳になるまでキャリアを始動させるのを待ち、ケニア・ナショナル・オートクロス・チャンピオンシップで数年間を戦い、再び成長軌道に乗り、27歳になってジュニアWRCに辿り着いた。ラリーファンからラリードライバーになるまでの道のりを長くしたのは、母のアドバイスもあったという。キマティは今も日中は会計士として働いている。

「正直なところ、僕は学校を卒業する必要があったんだ。母は、僕がラリーをしていたら学校を卒業できなくなることを疑っていたし、ケニアでラリーがフルタイムの仕事になり得るとは思っていなかったようだ」とキマティは語った。彼は今も日中は会計士として働いている。

「だから、君たちから見れば遅いスタートでも、僕たちから見れば、ちょうどいいスタートだった」

 マクレー・キマティには、かつてWRCで走ったことがあるだけでなくビジネスマンとしても成功した父親がいる。彼の父フィニアス・キマティはサファリ・ラリーのCEOとともにケニア・モータースポーツ連盟の会長を兼任している。それは、きっと助けになるはずだが、父が息子を誘導するようなことはないと語った。

「父は自分のラリーをやり遂げた。僕にいつもそう語っている。父は自分の道を切り開いてきた。これまで僕は何度も、方向性や道筋について助けが必要なとき、父に連絡を取ってきたし、彼は喜んで僕を導いてくれた。でも、僕にも自分自身で決断し、失敗し、自分の道を切り開くことを望んでいる」

 なお、キマティのノルウェーでのプレシーズンテストをレポートしたジュニアWRCのソーシャルメディアに対して、いくつかの人種差別的な書き込みがなされたことから、FIAは声明を発表し、この言葉の虐待を行った人たちの行為を非難している。

「ラリー・スウェーデンに向けて、FIAジュニアWRCに参戦しているマクレー・キマティは、ソーシャルメディア上で人種的虐待を受けている」とFIAの声明は述べている。「私たちは人種差別的な虐待や、私たちのチーム、競技者、ファンに対するあらゆる形態の差別を非難し、虐待が関連当局に報告されるよう、必要なすべての措置を講じるつもりだ」