APRC2018/04/04

30周年記念のAPRCが1カ月後に開幕へ

(c)APRC

(c)APRC

 1988年からスタートしたFIAアジア-パシフィック・ラリー選手権(APRC)は今年、30周年を迎える。

 APRCは、多様な国、気候、文化、そして25億人以上の巨大な人口基盤に広がっている。チャンピオンシップが始まって以来30年間、ニュージーランド、オーストラリア、マレーシア、日本、中国、インドで定期的にイベントが行われてきた。

 パシフィックリムのチャンピオンシップのアイデアは70年代から構想されていたが、1980年代後半になってようやく機運が熟した。自動車製造業の世界的リーダーとなった日本は、国際的なラリーにおいても存在感を示した。アジアの経済的繁栄は、地域全体で新たなマーケティングの機会を開き、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどの国々からのドライバーの増加をもたらした。

 1988年に初開催されたAPRCは、オーストラリア、ニュージーランド、インド、マレーシアでイベントが開催され、三菱ギャランVR-4を駆った篠塚健次郎が優勝した。彼の成功は選手権に対する日本の注目を集め、1989年にはNZ出身のロッド・ミレンがマツダの323 4WDをドライブし、タイトルを獲得した。

 選手権は徐々に拡大して1990年代半ばまでには世界選手権に次ぐ規模となり、三菱、スバル、トヨタのファクトリーチームを惹きつけ、コリン・マクレーやケネス・エリクソンらも参戦した。エリクソンは1995年から1997年まで3年連続でタイトルを獲得した。

 日本人ドライバーのチャンピオンは篠塚だけではない。1998年にはテイン・スポーツのトヨタ・カローラWRCを駆った藤本吉郎、1999年には三菱ラリーアート・マレーシアの三菱ランサーエボリューションVIを駆った田口勝彦が相次いで王座に輝き、田口は2010年にもチームMRFタイヤの三菱ランサーエボリューションXで2度目のタイトルを獲得している。

 APRCで最多王座に輝いているのはニュージーランドのコディ・クロッカーの4回(2006、2007、2008、2009年)だ。3回王座に輝いているドライバーは、ニュージーランドのポッサム・ボーン(1993、1994、2000年)、ケネス・エリクソン(1995、1996、1997年)、マレーシアのカラムジット・シン(2001、2002、2004年)、インドのガウラブ・ギル(2013、2016、2017年)の3人であり、

 マレーシアのプロトン、韓国のヒュンダイ、KIAなど、成長するアジアの自動車産業も加わり、21世紀に入って以降、アジアからの影響は拡大を続けており、インドのMRFタイヤはシュコダと強力な関係を築いて2012年から2017年まで6年連続でチャンピオンを輩出している。

 2018年APRCは、5月5〜6日にニュージーランドで行われるインターナショナル・ラリー・オブ・ワンガレイで開幕することになっており、日本のCUSCO RACINGからはシュコダ・ファビアR5の炭山裕矢、オリジナル車両のトヨタCUSCOヴィッツ4WDでマイケル・ヤングを起用して2台体制でシリーズ参戦、チーム初の総合タイトルにも期待がかかる。