WRC2020/12/25

クロアチアが初開催WRCの最初の情報を公開

(c)Croatia Rally

 長年にわたる紆余曲折の末についにその努力が実って2021年に世界ラリー選手権初開催を迎えるクロアチア・ラリーがラリーガイド1を公開、これまで謎に包まれていたイベントの最初の情報を公開した。

 クロアチア・ラリーは、首都ザグレブを拠点に4月22〜25日の4日間にわたって全長300kmのオールターマックの22のスペシャルステージが計画されており、ラリーヘッドクォーターはザグレブ国立大学図書館におかれ、サービスパークは首都の中心部にある展示パビリオンをもつ複合施設であるザグレブフェアに設置される。アイテナリーはまだ発表されていない。

 クロアチア・ラリーは、クロアチアで最も古く、最も難しく、最も人気のあるモータースポーツイベントだ。その歴史は1974年までさかのぼり、最初のイベントはINAデルタTLXラリーという名称で開催された。次の3年間でラリーは地域イベントから旧ユーゴスラビアの国内選手権イベントへと成長した。1986年には初めてアドリア・ラリーカップの一戦としてFIAカレンダーに登録され、オーストリア、ドイツ、チェコ、スロバキアの選手が参戦する国際イベントへと成長することになった。

 80年代後半にはザグレブとその周辺にラリーの拠点を移した。徐々に国際的に認知されるようになってきたデルタ・ラリーは、クロアチアの内戦時代は非常に厳しい時期を過ごした。しかし、ラリーは年々急成長を遂げ、1992年にヨーロッパ・ラリー選手権の係数2イベントとして初めてERCの選手権ポイントが付与されることになった。ザグレブの主催者ACデルタの完璧な組織化によって年々規模は拡大し、1996年には当時のヨーロッパ選手権のトップクラスの係数10イベントで開催されたが、そのステップに到達するまでには11年かかった。

 2004年以降、ヨーロッパ・ラリー選手権は係数を廃して全9戦のカレンダーへと変更になったが、クロアチア・デルタ・ラリーは2007年からこの新しいフォーマットのERCカレンダー入りを果たしている。ERCで3シーズンが開催された後、経済不況によってラリーはザグレブからリエカへ移転した。

 それ以降、クロアチア・ラリーと呼ばれるこのラリーは、それまでのACデルタからの主催を離れ、2010年にプリモリェ-ゴルスキ・コタル郡の自動車協会によって開催され、その次の2年間はリエカスAC MRCが開催した。

 2014年、クロアチア・ラリーは今度はイストリア半島のアドリア海に面したポレッチに移動し、クロアチア自動車・カート連盟(HAKS=CAKF)の主催のもと、地元のオート・クラブ・ポレッチが運営を行ってきた。

 2017年までポレッチで開催されていたクロアチア・ラリーは、2018年以降は、地元のACポレッチが主催するラリー・ポレッチと名称を変えて開催されており、クロアチア・ラリーそのものは3年間のブランクのあと、2021年に舞台を首都ザグレブへと移動して世界ラリー選手権として初開催される。

 WRCクロアチア・ラリーは新たにオートクラブD.T.とクロ・ダカール・チームが共同で主催にあたり、ACデルタが技術サポートを行う。2009年までクロアチア・デルタ・ラリーを主催していたACデルタは、それ以降現在までザグレブでターマックのデルタ・ラリーを主催している。

 クロアチア・ラリー組織委員会会長のダニエル・シャシュキンは、次のように語った。

「第1回WRCクロアチア・ラリー2021で皆を迎えられることをとても光栄に感じている!自動車クラブD.T.とクロ・ダカール・チームは、ザグレブのACデルタの技術支援を受け、HAKSと共に、あらゆるレベルにおいてイベントの質を向上させるためにこの選手権の組織に加入することを決定した。競争と組織セグメントでの経験を活かして、クロアチアにWRCをもたらすという我々の願いが実現した」

「組織委員会のメンバーを慎重に選び、彼らの知識と仕事によって今後の新しい基準を設定することができるチームを作り上げた。我々の願いは、これらの基準が世界で最も権威のあるラリーの基準を満たすことだ。若さと経験の組み合わせにより、新鮮でありながらも洗練されたアイデアが集まることを保証する。共同主催者として、我々は観客はもちろんのこと、クルーの安全にも特別な注意を払う」

「我々の努力は、ドライバーや観客だけでなく、クロアチアの国民にも認識されると信じている。彼らと互いに満足できることが我々の最大の目標であり、それはパートナーや地域社会の助けなしには達成できないだろう。WRCクロアチア・ラリーは、クロアチアのすべてに敬意を表し、クロアチアの自然の美しさと文化や歴史遺産の偉大なプロモーションになるイベントだと考えている」