WRC2022/06/01

ロール、40年ごしでムートンへ謝罪

(c)Rally de Portugal

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 2度のワールドチャンピオンに輝いたヴァルター・ロールは、かつて「アウディ・クワトロならサルでも勝てる」と発言、1981年のラリー・サンレモで女性として初めてWRC優勝を飾ったミシェル・ムートンの怒りを招いたことで知られているが、先日のラリー・デ・ポルトガルの際に行われたWRC50周年のメモリアル・ガラパーティの席上、40年も前のこの発言を公式の場で正式に謝罪している。

 1980年にフィアット131アバルトで初のワールドチャンピオンに輝いたロールは、1982年に2度目のワールドタイトルと獲得しているものの、このシーズンについては長く悔いを残していると告白した。

 オペル・アスコナ400という後輪駆動マシンを駆った彼は1982年の開幕戦モンテカルロで優勝したものの、その後は、4WDを武器にしたアウディ勢に苦しめられることになった。この40年前の世界ラリー選手権の戦いは、ロールとアウディとの間で繰り広げられた伝統的なバトルのシーズンとして記憶されているだろう。2輪駆動対4輪駆動の戦いは、やがて男対女のバトルとして注目されることになった。前年のサンレモで優勝を飾ったムートンの速さに対して、ロールは大きなプレッシャーを感じていたと明かした。

「当時私は、モータースポーツで女性相手に負けた最初の男にはなりたくはないと言っていたし、それがすごくプレッシャーになっていた。そして、必ず勝たなくてはならないと私はみんなから言われていた」

「状況としては、私がミシェルと戦っていて、それをジャーナリストや新聞のすべてが女性と男性の対決について話を大きく報じていたんだ」

「本当に、まず私が言わなければならないことは、1982年には、私は世界王者になろうとは考えていなかった。自分にとっていちばん重要だったのはモンテカルロで勝利することだった。それに勝って私はもう満足していた。でもそれから、このバトルが始まって、負けたくないと思ったんだ。女性には負けたくはなかった」

 ロールは、あのムートンをばかにしたような発言は、彼女に向けたものではなく、アウディに向けたコメントだったが、その言葉はマスコミによって強く拡散したものだとしているが、たとえ自身の発言が歪められたものだったとしても、ムートンを傷つけたことを深く反省し、当時のライバルに対して謝罪の言葉を述べている。

「今日、このことについて申し訳ないと思っている」と彼は付け加えた。「本当は世界王者になることがそれほどのことではなかった。女性が世界チャンピオンになったとしたら、本当なら将来のためにとても特別なことだっただろう」

「ミシェルはそれに相応しかったのか? もちろんそうだったと思う。ミシェルは本当に特別だったし、今でもそうだ。彼女は4WD車を走らせるために生まれてきたようなものだ。彼女は時にスティグ(・ブロンクヴィスト)やハンヌ(・ミッコラ)さえも負かすくらい本当に本当に速かった。とてもとても特別なんだ」

「当時は、まったく違う時代だったからね。1982年にミシェルが加入したことはアウディにとって非常に大きな成功だった。ドイツでは、新聞はラリースポーツに関することでいっぱいで、このスポーツの大きな広報活動となっていた。ミシェルはこのスポーツのために素晴らしい貢献をしている」

 1982年の選手権は、結局、ロールがムートンを12ポイント上回ってチャンピオンを獲得している。ムートンはコートジボワールで4勝目を飾るはずが1時間近いリードをメカニカルトラブルで失った瞬間に、タイトルは2勝のロールのものになっている。後輪駆動マシンを駆った最後のワールドチャンピオンだ。