やっぱりラリーが好きなのだっ!〜編集代表のラリーな日々ブログ〜

森と湖のグランプリ。

いまでこそラリー・フィンランドなんて味気ない名前で呼ばれていますが、1951年に誕生したときにはユヴァスキュラン・スーラヨット(ユバスキュラの大競争)と名乗っていましたし、ヨーロッパ選手権の一戦として開催された1959年からは1000 Lakes Rally(1000湖ラリー)というネーミングで呼ばれてきました。森と湖のグランプリというわけです。
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僕が初めてフィンランドを観戦したのは93年のこと。インプレッサのデビュー戦でした。オウニンポウヤだけでなく、ルーヒマキ、ハメーンリーナ、バルケアコスキとか、北欧の神々の名前を想起させる名前をもつ伝説のステージがたくさんあった時代ですが、本当にステージに行くまでが遠かった! サービスパークがなく、ステージエンドで各チームがばらばらにサービスを行っていた時代です。丸一日ずっとフルスピードでラリーを追い掛け続けるという、取材もまさしく死にものぐるいでした。

さらにこの白夜の国ではいつまでたっても暗くならないので、一日がすさまじく長い! 今回も金曜日には15時間に12ステージが予定されてますが、以前には昼前スタートで翌朝ゴールなんていう考えられないアイテナリーが組まれていたこともあったようです。それもフィンランドらしい話じゃないですか。
 
サービスパークを中心にしていまのWRCのスタイルでは同じステージを2回ループするなんてことも当たり前ですが、かつてはそのようなアイテナリーは稀でした。サスペンションが壊れたくらいなんてへいちゃらで、ステージエンドのロードサービスで修理を受け、ただただ遠いところにあるステージを目指していくつもの森を駆け抜け、3日間で40から50ものステージを走るなんてこともザラでした。

サインツが初めて北欧系以外のドライバーとして歴史的な勝利を飾った90年でさえほとんどループしないアイテナリーで、たった一回のみの走行のステージが40あまりもあったのですから、やはり慣れている地元系のスペシャリストたちが圧倒的に有利な時代だったのですよ。

いまは毎年ほとんど同じステージで開催されるようになったのですから、ローブやオジエ、あるいはミークが優勝を飾るようになるのも当然のことかもしれません。それだけ時代とともにフィンランドの色が薄れたことはたしかなのでしょう。

あのころはよかったと言うつもりはありません。今年、高速ステージにいくつもシケインや枝道がつくられたり、馬鹿らしい規制が行われたとはいえ、相変わらず、あのような豪快なジャンプが連続して見られるのはここだけですし、これからもフィンランドがラリーの聖地であってほしいものです。
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そういえば、今回のフィンランドではトヨタが行う新しいWRC観戦体験サービス「EchoCam」が始まる前から注目されているようです。 EchoCamブースが設けられたステージでヤリスをスマホで撮影して応募すると、走行中のヤリスが撮影した自分の動画がプレゼントされるのだとか。 

なんだかこんな新しいサービスが生まれてきたら、ますます観戦も楽しくなるんだろうなあ。ラリーもだいぶ変わったけど、悪いことばかりじゃないのかも。

24回目(!)のフィンランド観戦に行かれるという読者の方から連絡をいただきました。教えることより教えられることのほうが多い毎日であります。帰られたら、また感想聞かせてください。


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