ル・マン24時間レースでの初優勝を目前にして、残り3分でストップしてしまったトヨタTS050ハイブリッド。勝利の瞬間を夢みてきたドライバーやエンジニアたちはさぞかし無念だったと思う。このような、まさかの出来事が最後に待っているなんて、このモータースポーツの歴史においては初めてのことだと中継では伝えていた。しかし、1998年の世界ラリー選手権最終戦ラリーGBの最終ステージ、マルガム・パークで起こったトヨタの悲劇を思い出したラリーファンは多かっただろう。
あのときもカルロス・サインツは3度目のワールドチャンピオンまで残り300mでカローラWRCを止めている。エンジンがブローしたのだ。
タイトルを争うライバルのトミ・マキネンがクラッシュで消え、サインツはあとはゴールするだけでよかった。最終ステージ、チームはサインツにエンジンを回さないように、残りの短い距離をセーフティに行くよう指示したという。ウィニングランというわけだ。しかし、その何気ない一言が最悪の事態を招くことになった。
タイトル争いにむけた最終決戦にむけて、東富士研究所はスペシャル・エンジンを投入していた。ブーストと圧縮比を上げ、ノッキングを抑えながらぎりぎりまでパワーを絞りだした勝負エンジンだ。しかし、ビンビンに回しているときに壊れなかったエンジンが、皮肉なことに、タイトルを確信してアクセルを緩めたときにブローしたのだ。
高回転でのトルクはむしろ小さく、低回転域での強大なトルクに負けてH断面をもつパンクル製超軽量コネクティングロッドが破断したのだと当時のエンジニアから私が聞いたのは、あの事件から10年近く経ってのちのことだった。
ル・マンの残り1周でなにが起きたのかわからない。ポルシェ919ハイブリッドが優勝を断念するようにタイヤ交換に入ったあと、トヨタの中嶋一貴には「プレッシャーはなくなった」という無線が飛んでいる。
もし、サインツがあの時ペースさえ落とさなければ、そして、もしあの無線がなければ、そのままトヨタは栄光のゴールを迎えていたのだろうか。それはわからない。しかし、一つだけ確かなことは、不運という言葉以外に説明ができない結末にもかならずなにか原因があるということだ。
「トヨタよ、敗者のままでいいのか。」というル・マンにむけたトヨタのコピーはきわめて痛いところをついている。ル・マンの敗北でどうトヨタが変わるのか、トヨタのWRCにどのような化学変化をもたらすのか。あの敗北を見て、トヨタの勝つところが本気で見たくなった。