サファリを愛し、ラリーを愛した男、ビヨルン・ワルデガルドが29日、スウェーデンで亡くなりました。
ワルデガルドは、1973年に世界ラリー選手権が誕生し、79年にドライバーズ選手権が生まれた最初の年のチャンピオンとして知られます。私にとっても彼はあまりも古い世代であり、彼が現役ドライバーとしてWRCを走るのを見たのは、1992年のサファリ・ラリーが最初で最後の機会となりました。
彼がラリーの前に右腕を骨折したという情報は入っていました。ケニアで初めて会ったワルデガルドは上腕を樹脂製のギプスで固定し、ただでさえ巨漢の体躯と相まってただならぬ雰囲気を漂わせていました。ギラギラとしたギョロ目もすごかった。ただただワイルドな雰囲気に圧倒された記憶があります。
しかし、彼に会ったのはスタート前のその時が最後となりました。美しいマルティニカラーに彩られた彼の純白のランチアは完全に燃え落ちて、無惨な姿でモンバサ街道にストップしていました。彼にとってこの時のサファリが事実上の現役引退戦となり、私も競技の場でワルデガルドに会ったのはあの日が最後になりました。
ワルデガルドはWRCから外れる以前のサファリ・ラリーを18回走って4回優勝しています。サファリは当時、3000km近いCS(コンペティティブセクション)、総走行距離5000kmを超え、ただならぬ執念をもってレッキを行うことが必要でした。日本人でただ一人サファリで優勝している藤本吉郎も3カ月もの時間をかけたレッキを行っています。当時は好きなだけ現地に滞在して時間が許す限りレッキすることが許されていましたし、ワークスチームは本番と同じスペックのマシンをレッキカーとして用意していました。
サファリはいつしか、スマートになってしまった現代の世界選手権という枠にはまったく収まりきらなくなっていました。1週間で勝者を決める現代のWRCからみれば、サファリはあまりに非効率的で、スケールが大きく、モンスターとも言える存在でした。しかし、それゆえに、いまの時代とは比較できないほどに一回の勝利が重みをもっていたようにも思います。ワルデガルドはそのようなワイルドな時代を駆け抜けた、まさしく「最後のラリードライバー」の一人でした。
サファリは残酷で、厳しくてつらくて、それでも往年のドライバーたちはみな、いつかふたたびサファリを走りたいと取り憑かれたように繰り返します。トヨタ・チーム・ヨーロッパを創設したオベ・アンダーソンが南アフリカで事故で亡くなったとき、ワルデガルドはラリードライバーなら誰でもアフリカで死にたいものだと語っていたと聞きます。
いまごろ彼の魂はスウェーデンを離れて、あの美しい夜明けが待つサバンナに向かっているのかもしれません。ご冥福をお祈りします。