ラリー・オーストラリアでマニュファクチャラー・タイトル連覇をきめた際、フォルクスワーゲンは「この25年でもっとも早いタイトル決定」と銘を打ちました。
フォルクスワーゲンが破れなかったのは、1989年のランチアが立てた記録だったのですが、このときランチアはマニュファクチャラーズ選手権がかかった全10戦のうち緒戦から6戦で連勝を飾り、8月初旬のアルゼンチンで早々とタイトルを決めているのです。
現在とはマニュファクチャラー選手権イベントの数もポイントのカウント方法も異なり、当時は年間13年の世界選手権のうち、10戦にマニュファクチャラーズポイントが掛けられ、年間のベスト5戦のポイントでマニュファクチャラー選手権を争うというものでした。
この1989年がどんな年だったかといえば、むろんランチア帝国の全盛期だったわけですが、のちに選手権における中心的な存在となるトヨタや三菱がじわじわとその存在感を増しつつあり、言ってみればこの年を境に、一つの自動車メーカーしか勝てない選手権ではなくなったと言えるかもしれません。つまり、けっして暗い時代の始まりではなかったわけです。
25年前、マニュファクチャラー選手権でポイントを獲得したメーカーは全部で15メーカーもあります! もちろん選手権への登録が不要な時代でしたし、タイトルを争っていたのは上位の数チームに限定されるわけですが、それにしてもトップカテゴリーは多彩な顔ぶれで争われていたことがわかります。
現在のようなわずか4メーカーの選手権となったのは、選手権の登録を義務化したことと、WRカーというレーシングカーのホモロゲーションを取得しなければならないルールになったことが原因だと僕は思っております。
まだ2017年以降のWRカーがどうなるのか見えていませんが、このままWRカーを継続しても、トヨタの参加はあったとしても、多くても4メーカーの選手権のままでしょう。けれど、R5マシンのような安価なプロダクションカーの選手権にすれば、15メーカーに戻すことは可能でしょう。
WRカーという高額なマシンの登場によって、それと矛盾するようにコストの削減が叫ばれ、少しずつラリーのフォーマットがコンパクトなものに変わり、現在に至ります。エンジンもターボも年間で使用数が制限され、ダメージでサービスに戻れないマシンもラリー2という奇妙な救済措置で復活を許しています。しかし、僕がかつて惹かれたのは、どんなことをしてもメカニックたちが潰れたマシンを直してゴールさせるという、ラリーのその精神だったに他なりません。
テレビをどうするのかよりも、魅力的な選手権を取り戻すほうが僕は先だと思っています。だからこそ、車両規定の変更とイベントの変革は一体にすべきと僕は思うのです。
意外とこの25年の間に捨て去られ、忘れ去られてしまったもののなかに、ラリーの本当の魅力があったように僕は思うのです。もちろん当時の選手権ルールにそのまま戻すべきと言いたいのではなく、古きラリーの精神には必ず変革の糸口があると僕は信じているのです。
ラリーは長いからテレビには不向きですって? ツール・ド・フランスだって、ゴルフだって、長い時間ちゃんと僕らはテレビに釘付けになるじゃないですか!