シトロエンがアブダビとの契約により、すくなくとも2015年まで世界選手権にとどまることになりました。ホッ。WTCC優先でWRCなんて中止じゃないかという空気がずっと立ちこめていたので、一安心ですね。ありがとう、殿下!
さて、マトンのコメントで目を引いたのは、今年のドライバー二人、オストベルグとミークについても彼が長期的な視点で継続する考えにあることです。
ちょうどいま、2014年のドライバー紹介原稿を書いており(公開もうすこしお待ちください!)、たまたま昨夜からミークの浮き沈みの激しいドライバー人生をみっちりと追いかけておりましたので、よくここまで這い上がってきたもんだなーと感慨もひとしおです。
彼がプロドライブMINIでどん底を味わったことはまだ記憶に新しいですが、その数年前にも彼は地獄をみております。かつてクロノス・レーシングという花形チームで彼はJWRCに参戦しておりましたが、そのシートをあまりにもリタイアが多いので失ってしまい、2007年あたりから最初のどん底を迎えるのですが、このとき、一度、セバスチャン・オジエと微妙な交錯をしていたのを発見しました。2008年のラリー・ドイッチュランドのことでした。
2008年といえばオジエがJWRCのタイトルを獲得した年です。このドイツにルノー・クリオS1600で参戦したミークはなんとゴールまで残すところ2ステージまでオジエを1分20秒以上も上回る速さでクラスをリードしたんですね!
当時オジエは、すでにFFSAとシトロエンから将来を約束されているだけあって、1600ccのマシンが走るクラス6ではワンランク上の速さでした。ミークはもちろんJWRCにノミネートしていないので私もそのようなバトルがあったことさえ知りませんでしたが、いまになって、ライブで追いかけたかったなあーと後悔しきりです。
ミーク、残念ながら電気系トラブルで最後はオジエにさっくりと抜かれてしまいますが、この光る走りが、古巣プジョーUKの目にとまり、翌年のクロノス・レーシングへの復帰、IRC参戦、IRCチャンピオンにつながっていきます。そのことを、2008年の夏、いったい何人の人が見抜いていたでしょうか。
あれから6年たってワークスチームにシートを得た二人。スーパースターと雑草のような人生が再びここで交わったわけです。
世界選手権のトップカテゴリーの優勝争いだけを追いかけていると、このような若いドライバーたちのドラマは見えてきません。しかし、視線を下のほうへ落とすと、このスポーツが「熱血甲子園」のような世界へとすこし広がりをみせるかもしれないと、あらためて思い直したわけです。