ピットストップを義務化すれば80kmのモンスターステージが生まれるかもしれない。そんなニュースが本日トップとして掲載されました。
ステージでピットストップが行われるのは実は初めてではありません。かつて、グループB時代にランチアはラリー・モンテカルロでステージのなかでタイヤ交換を行ったことがありました。
そもそもは凍結した路面で2WDマシンの037では4WDマシンのアウディやプジョーに歯が立たないことから、ランチアのニニ・ロッソが考えた戦術は、ドライ路面をスリックで走らせ、標高が高くなり路面の凍結がはじまる場所でスタッドに履き替えてタイムを稼ぐというものでした。
そのためにランチアは4連のインパクトレンチを製作しました。
『ターミネーター2』でシュワルツェネッガーがバリバリぶっ放していたバルカン砲のような形状です。
このインパクトレンチを振り上げて、タイヤ交換に駆け込んでくるマシンを待ち構えるメカニックのリーノ・ブスキアッツォは、なんと頼もしく、かっこよかったことか!
しかし、このような戦術をランチアは1983年からモンテカルロで使い始めましたが、苦労したわりにその効果があったのは86年モンテカルロのわずか1回だったと記憶しております。サンジャン・アン・ロワイヤンのピットストップ作戦で築いたタイムでデルタS4のトイボネン(写真)を優勝に導くことになったわけですが、ちょうど今年のSS3オーバンとまったく同じ路面状況でした。
かつてラリーの目的はゴールさせること、そのためのルールはないという時代がありました。ステージ内でのサービスが禁止されたのは何年だったでしょうか、88年あたり? それでもサービスパークが作られるまで、ロードセクションのどこでもサービスを行うことが認められていました(チーム以外のアシスタンスは禁止でしたが)。ステージの前と後に必要とあれば、タイヤだけでなくターボやギヤボックスの交換さえ認めていました。作業によってTCインに遅れればもちろんペナルティとなるわけですが、サスが壊れても、部品さえサービスバンにあればいくらでも修理してラリーを走り続けることが可能でした。
壊したら即リタイアでラリー2で復活を認めるのではなく、壊しても直して走らせる仕組みが、かつてのラリーにはあったのです。だから、いつまでも語り次がれるような伝説もできたし、いくつものドラマも生まれたわけです。
ピットストップ復活と聞いて、懐かしい記憶が蘇ってくるのですが、それが「タイヤ交換ショー」として義務化されるかもしれないというところだけは、なんとも複雑な気分です。ルールで縛るのではなく、クイックサービスやタイヤ選択などチームの戦略をもっと自由にさせることがラリーのおもしろさにつながると思うんですけどね。
スマホサイトの動画コーナーに、かつてのランチアのピットストップ大作戦のビデオをまとめてみました。チェックしてみてください。