三菱自動車が日産自動車の傘下に入ることが決定的になったとの報道だ。三菱が今後、会社としてどのように存続するのかどうかは時間が経たなければわからないことだが、大好きだった会社やブランド、そしてクルマづくりが荒海に揉まれるように消えようとしているのは無念でならない。
同じ日、富士重工がSUBARUに社名変更するという発表があった。同じ時期に世界ラリー選手権で鎬を削ってきた両メーカーが、いっぽうは光を失い、いっぽうは輝かしい未来への決意を表明した日がこのように重なるとは。あのとき、両メーカーがこれほど違う未来に向かって進むとは正直想像もしていなかった。
僕らが当時、話をうかがうことができた二つのメーカーの開発者たちは、いずれ劣らぬ無類のクルマ好きの人間たちだった。しかし、この二つのメーカーが決定的に異なっていたのは、経営トップがどれくらいクルマにまじめで、熱かったかと言う点に尽きるように思う。
三菱自動車は重工を代表とするグループを後ろ盾とした特殊な社風をもつ会社であることはよく知られていたが、上にモノさえ言えない社内の体質が急加速したのは、ダイムラー・クライスラーとの事業提携が決まり、それが破綻したころからだろうか。有能な技術者が次々と会社を去り、残念だったのは、三菱を愛して会社に残った人たちまでも何かを恐れるようにただ口を閉ざすようになってしまったことだ。
ダイムラー・クライスラーとの提携が破綻した経緯を知る者なら、誰だって三菱自動車がすんなり日産の傘下になるとは思わないだろう。現に三菱自動車の今日のプレスリリースには「傘下」ではなく、企業協力であるという意味である「企業アライアンス」という言葉でこの提携を表現しているように、両社の認識には早くも隔たりがあるように私には感じられる。
富士重は「スバルブランドを磨く取り組みを加速させ、『存在感と魅力ある企業』を目指す」という。新しい三菱はなにを目指すだろうか。あれほどの不正から立ち直るためには、もう上に向かってモノさえ言えない、あの社風とはさよならしてほしい。たとえブランドが変わったとしても、三菱の社員たちがクルマに熱い新しい経営陣に巡り会うことができることを願いたい。時代は移り変わる。10年経てば、きっと新しい未来が待っているはずだ。