おかげさまで初めてのラリーだったレジェンド・オブ・ザ・ラリーも無事に完走できました。クルマはギヤがサファリスペックということもあり、やや離れた2速に四苦八苦したくらいで大きな問題はなかったのですが、人間のほうが完全オーバーヒート、ゴールした翌朝から発熱してフラフラしながら東京へと帰ってくる有り様でした。
ラリー前からかなり盛り上がって熱を入れていたせいか、疲れが一気にでたんでしょうかねえ。家に帰るまでがラリーですとはよく言ったものです。
もちろん熱が出ちゃうくらい気持が高ぶっていたのはたしかですよ、そりゃそうです、当時のトップドライバーとラリーカーが時代を超えて蓼科に集まったわけですもん。一台一台が時間をかけてきれいに仕上げられ、まるでタイムスリップしたような気持になりました。
サファリに出場した建次郎VR-4と記念撮影! 時代を超えた邂逅であります。
アンダーソン・モータースポーツのワークスカーのような左ハンドルの TA22セリカ。これでヒストリック・モンテに出撃するのだとか。
510ブルもよかったけど、大森ワークスカラーのチェリーとランタボもなかなかいい雰囲気です!
藤本吉郎/川田輝組のワークス・エスコートRS1800をロードセクションで丸一日追い掛けるというありえない体験をさせてもらったこともうれしかったー!
青い出来損ないのプラモのようなかわいいマシンから放たれる、コスワース BDAの凶悪なサウンドをたっぷり聞かせていただいただけでなく、その迫力の走りを直に観られたことはなんとも言えない素晴らしい経験でした。ヘアピンの切り返しでもたもたしている間に追いつかれて、コーナーでスピンターンして待機して一気に真横をぶち抜かれる快感たるや!
それにしてもレジェンドのみなさんに混じって競技に参加できたのは本当に光栄な体験でした。クルマ好きの方々とお話しさせていただくのは楽しい時間でしたし、夢のような出来事だったのですが、しかし、あまりに錚々たるメンバーのなか、へっぽこドライバーと素人ナビゲーターのコンビは、いささか場違い的な、居心地の悪さを感じながらの二日間でもありました。
レジェンドのなかにはさらに新しいエンジンを作っているという人もいれば、新しいラリーカーを早くも準備しているという情熱的な人もいましたし、これからは本気のレジェンドたちがますます復活してきて盛り上がりそうな予感がしました。
それはそうと、レジェンド・オブ・ザ・ラリーは日本のラリーをつくったレジェンドのためのラリーとして、いっぽうでもっと身近なシリーズのようなものも生まれることも期待したいな。来年にはスーパーラリーシリーズが誕生するけど、できればヒストリックも併催してほしいものです。
そんなのスポンサーもないし無理じゃないのかな、そんな声も聞こえてきます。ヒストリックカーは売上げにつながらない以上、自動車メーカーもそうしたクルマの集まりがあったところでそれを振興することやスポンサーとして支援する考えはないのかもしれません。
ヨーロッパではヒストリックカーやその競技を自動車メーカーもとても大事にしているし、きっちり整備されたヒストリックラリーカーを元ワークスドライバーに委ねて惜しげもなく走りを許しているし、まだまだあちらの自動車文化の奥深さを感じざるを得ません。
ラリー後の泥を洗い落とす作業はなににも代えがたい至福の時間でした。本音を言うと、泥はこのまま落としたくなかったんですけどね! またいつかチャンスがあれば、出場してみたいけど、やっぱりラリーを走ったあと、夜中に机に向かって仕事しているうちは、まだまだ出場は無理っぽいなあ! もっと、もろもろ余裕ないと!