やっぱりラリーが好きなのだっ!〜編集代表のラリーな日々ブログ〜

2016年5月アーカイブ

Mスポーツ、まさかのフォーカス復活か?

マルコムが、Mスポーツの次期WRカーがフォードの新しいプロダクションカーをベースにすると語ったことから、フィエスタじゃなくてフォーカスになるんじゃないかとの憶測が囁かれています。

フォーカスといえば、フォード・ワークスともいえるケン・ブロックのフーニガンレーシングが今季世界ラリークロス選手権にデビューさせています。
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Mスポーツとフォード・パフォーマンスセンターとの共同開発のこのマシンが、どうしてフィエスタではなくてフォーカスになったのか? それがフォードの意向だったとするなら、ひょっとしたら、ひょっとする可能性もあるのかも。

それに、ラリークロスのスターティンググリッドでもライバルたちよりやや大きなボディで戦闘力はどうなのかな? なんて気になったので、先週末にリッデンヒルで行われたイギリスRXを注目してみたのですが、総合的なパフォーマンスはともかく、瞬間的には意外にも速かった! 
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ブロックのチームメイトのアンドレアス・バックルドがファイナルに進出、トランスミッションの問題で6位となりましたが、予選では最速ラップを獲得しています。とくに高速コーナーがつづくリッデンヒルでは長いホイールベースのフォーカスは速かったともいえるし、反対にトリッキーなセクションのあったジョーカーラップは苦戦したと分析できるのかもしれません。

可能な限りホイールベースを伸ばそうとしているヤリスWRCにしても、これからの大パワー時代、ひょっとして長いホイールベースがトレンドになる?

Mスポーツのマシンが判明するのは、7月以降になりそうです。

消防士のDNAでも、火は恐いんです。

お父さんが消防士だったことはあまり関係ないかもしれないけど、とにかく勇敢に火に立ち向かい、見事な火消しっぷりを披露、フィエスタの全焼をくい止めたタナク。 
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そのタナクが、火災でラリーを止めなかったポルトガルの主催者に対して怒りを露わにしています。

ポルトガルの競技長は、コースはクリアだったし、パッドンのクルーの無事は確認できていたので、あの時点でラリーを止める必要はなかったと判断したと証言していますが、あれだけの山火事が起きているなかで、もう少しで自分の車を全焼するところだったタナクの怒りは収まりません。

火災のど真ん中に突っ込んだタナクのマシンは、なんとか観客のランドローバーで燃えさかる炎から引き離されましたが、ドアノブが熱で溶けたため消火器をコクピットから取り出せなかったそうですから、現場は想像以上にやばい状況だったのです。

マーシャルはまさかタナクも同じ場所にコースオフするとは想像もしなかったのでしょうけど、コースがセーフティだったかどうかの判断はかなり甘かったと思う。

そういえば、ポルトガルでは昨年も、ロレンツォ・ベルテッリがクラッシュしたあと吐き気やめまいを訴え、SOSボタンを押して救急車の要請をしたのもかかわらず、主催者はステージを止めることなく、ラリーを進行させたことが問題になったことありましたね。

ベルテッリはポルトガルの直前、サッカーで大ケガをして今回は欠場すると発表しましたが・・・なにか予感でもあったのかな?

久世さんと小関さんに再会した日。

先日、JAFモータースポーツ部を訪ねて、スバル・レオーネのオリジナルのグループAホモロゲーションの書類をみせていただきました。塚原さん、田中さん、お忙しいなか、貴重なものを見せていただきありがとうございました!

レオーネの書類A-5259には申請者である、今は亡き久世さんや小関さんの手書きのサインが書かれており、これらを一枚ずつ開くときにぶるぶると手が震えました。
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まさかこんなところでお二人にふたたびお会いできるとは。これもなにかの縁だったんでしょうか。

さて、あまり知られてないかもしれませんが、JAFにはこれまで日本の自動車メーカーからJAFを経由して当時のFISAおよびFIAに申請されたホモロゲーションの書類の原本がすべて(!)きっちり保管されているのです。あの裕次郎の時代の日産から最近のマシンまで完全に! これはすごいっ!

しかも、僕らがふだん目にする、むかしのラリーカーのホモロゲーションペーパーは、コピーにコピーを重ねているなので、どこがどんな風になってんのかあまりにも不鮮明で、それでよく車検で問題ならなかったな、なんて思うものもあるわけです。それをいいことに曖昧な解釈が可能なグレーなパーツを不鮮明な写真で申請していた例も海外では数知れず・・・。まあ、それはともかく、なんといっても、ホモロゲーションペーパーこそが車検では真実なわけで、この書類に記載されている内容こそが、いまとなっては重要な歴史の証人であるのです。

もちろんむかしのラリーカーなんて、とっくの昔にホモロゲーションが切れていますが、何がオリジナルなのか、どれがホンモノなのか、真実を求めて、ヨーロッパのヒストリックラリー選手権に出場するエントラントやFIAからひっきりなしにJAFに問い合わせがあるのだそうです。

しかも、JAFが保管する日本車のホモロゲーションペーパーはこれが原本! 写真もモノクロの紙焼きがのり付けされているので、パーツなどはバリバリに鮮明なのです!
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くーっ、みてください、この鮮明なロールバー! 総重量13kgの軽量アルミ製。アルミとはいえ、むっちゃ硬くて曲げるのがたいへんだったそうです。

ちなみにFIA は92年にグループAアルミ製ロールケージを全面禁止しています。後期にはレオーネのためにクロモリ製ロールケージをVO申請しています。こちらの総重量39kg。アルミがいかに軽かったか!

さて、なんで実はこのホモロゲーションペーパーが見たかったのかというと、実はレオーネの今後の修理の方向性においてちょっと迷うところがあったからなのです。

サファリを走ってからすでに30年、これまでに数人のオーナーを渡り歩いたこのクルマは、当然のことながら、その後、さまざまな改良や改造や修理がなされてきたわけで、そもそもオリジナルがどうだったのか確認するためにも資料を集めたかったわけなのですが・・・・実をいうと、動かぬ真実を確認できるかと思っていたはずが、かえって謎が・・・。ああ、なんだか歴史ミステリーの世界に迷いこんだみたいです! タイムマシンがあったらどんなにいいか!

ミークの勝利はWRCの価値を下げたか?

ヨースト・カピトが、今後もスタートポジションに恵まれて勝つドライバーがいればWRCの価値を下げることにつながると発言!

チームがデビューして丸3年、初めて2戦連続で優勝を逃したことがおもしろくなかったとはいえ、終わった直後のこのタイミングでまるでミークの優勝を価値のないもののように名指しするとは・・・。これは明らかに失言だよね。
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もちろん80%の天気予報どおりに土曜日に雨が早めに降っていたら結果は違ったものかもしれないし、ミークがミスをすればまた別のシナリオもあったでしょう。しかし、カピトが言うべきことは、ミークの勝利のことではなく、オジエが二日間にわたって理不尽なスタートポジションで走ったことであり、スタートのルールであったはず。  

1番手だろうと、13番手だろうと、チャンピオンだろうと、スポット参戦のドライバーであろうと、優勝するチャンスは可能なかぎりイコールでなければならないという点において、このスポーツのルールを見直すべき時だという表現だったならば私にも理解できる。

「奥さんの出産がラリーにかさなった場合には、家庭を優先する」とフランスメディアに語ったというオジエ。え、サルディニア、それ本気なの? 勝てないとわかっていて走るより、ラリーを休むほうがマシなんて、チャンピオンに言わせるなんて、そりゃ、カピトも焦るはず、か!

13番手だったから勝てたのか?

クリス・ミークがすばらしい速さをみせてポルトガルで2勝目を飾りました。しかし、彼が勝てたのは13番手のポジションのおかげだったのでしょうか。
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雨の影響でやや湿ったコンディションのなかでスタートしたポルトガルの金曜日。スタートポジションは1番手がオジエ、6番手のラトバラ、13番手のミーク。誰がオープニングステージでいいタイムで駆け抜けるのか。世界が注目するなか、ミークが5.6秒オジエを引き離してトップタイム、ラトバラは13秒遅れでした。そしてその勢いのまま、ミークは初日で31秒をリードすることになったのです。

ミークもスタートポジションがこのタイム差を生んだ理由だと認めています。しかし、WRC公式サイトWRCプラスのインカーカメラを見ると、柔らかくなった路面でも岩盤質の路面でももっともクリーンな路面だったのはラトバラのときであり、とくに午後のループでは、ミークの走行のときには柔らかい路面にはすでに轍が生まれ、コーナーにはペースノートにはない穴が開き、たくさんの石がかき出されていたことがわかります。

もちろん罠さえなければ多くのコーナーでよりクリーンな路面を走れたのはミークなのかもしれませんが、ラトバラのように荒れた路面でパワステのオイルラインを壊して失速するドライバーがいるなかで、彼よりさらに荒れたコンディションのなかでミークはこうした危険な状況を避け、ノーミスで三日間をトップで走りぬけたのです。

ミークが13番手のポジションにただ助けられたのではないことは、ジュリアン・イングラシアも証言しています。「クルマの中にいた僕は、彼らのタイムをよく知っている。彼らのはクルージングじゃなかった」

それでも、それがまだ信じられないという人がいたなら、WRCプラスのインカー映像をすべて観ることをお勧めしたい。「ミスをせずに首位をコントロールできた今回の2勝目でやっと壁を越えることができた」というミークの言葉の意味がそのときわかるだろう。たしかに13番手には助けられたかもしれない。けれど、ポール・ネーグルが言うように、この勝利は「間違いなく過去最高のパフォーマンス」のおかげなのです!

写真はミークが自身のInstagramに上げていた写真が面白かったのでご紹介。「今年はファフェの記録には挑戦できないなあ」ですって! おめでとう、ミーク。2017年がほんとうに楽しみになってきたよ!

パッドンも燃えて、ヘニングも燃えた。

パッドンのマシンが衝撃的な炎上するというアクシデントで始まったポルトガル! 
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あっというまにマシンが火に包まれ、二人にケガがなかったのが本当に幸いでしたが、アルゼンチンから投入されたニューマシンがわずか2戦目で全損ですよ! 15戦目のマッズのフィエスタとはえらい違いです

さて、そんなこんな波乱の初日になったわけですが、こっそり注目していた一つは、ヘニングの息子のオスカーのフィエスタ・トロフィー緒戦でしたが、こちらもSS3で横転という波乱のデビューでした!
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右がオスカー、20歳に見えないね。

さてさて、息子にいいところを見せるはずが、父もSS7でコースオフ。こちらもパッドンと同じようにエキゾーストから枯れ木に引火して、あわや大火災になるところだったみたい!
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きれいなゴールドのマシンのリヤが焼け焦げて真っ黒です。

ポルトガル二日目には38kmのラリー最長ステージのアマランテが待ち受けます。ポジションに恵まれたミークが独走中とはいえ、まだまだ波乱のラリーが続く予感!

ゾクゾクさせるぜ、ヒュンダイ!

なんだかいきなりゾクゾクするような展開となっているポルトガル。ヌーヴィルとソルドがシェイクダウン1-2に続き、ロウサダ・スーパーSSでも2-3番手で並び、ヒュンダイ勢が不気味な速さをみせていますよ!
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アルゼンチンのシェイクダウンでパッドンがトップを奪ったときも、それがそのまま優勝につながるとは誰も想像していませんでした。けれど、わずか数kmのショートステージとはいえ、その速さは偽りのない真実だったことを彼はすぐに証明しましたし、ここポルトガルでもやはりヒュンダイは速い! 

もはや一発の速さはVW とほとんど互角にも見えるし、明日のラリーが始まってみれば、きっとヒュンダイの速さがホンモノかどうかもわかるはずです。

そして、こんなときにスーパーSS首位発進のオジエにブーストが上がらない謎のトラブルが! まさかまさかの帝国の危機。欧州ラウンド、嵐の予感であります!

ポルトガルが始まるぞおー。

ポルトガルのレッキも今日水曜日でおしまい、いよいよ明日の朝行われるシェイクダウンからラリー・ウィークがはじまります。
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カミリーはボルボ、ルフェーブルはランサーエボリューションでレッキを行ってます。数年前からおなじみの光景ですね。

朝は霧が出たようですが、昼間は青空がのぞき、先週降った大雨も乾き始めているようです。表面はかなりドライになってきたようですが、まだかなり水分を含んだ砂質の路面はやわらかく、走行によってかなり轍ができそうなところもあると報告されています。
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雨によって表面のルースグラベルが洗い流されたところも多いためか、2番手で走行が予定されるパッドンも、「このポジションでもそう悪くないだろう」とSS4のレッキを終えたあと報告しています。

いったい、どんなラリーになるんでしょうね・・・・なんてポルトガルの路面に思いを馳せつつ、今日は一人事務所の掃除。資料としてたまってしまった雑誌を廃棄したり、切り抜いたり、なんとしても4つの本棚のうち一つを空にすべく奮戦しましたが、ついつい記事を読んでしまい、なかなか先に進みません。
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おっ、日産240RSか、いいなあ! なんて。

そういえば、先日、知り合いのクルマ屋さんから電話があり、オークションに240RSの出物があるけど、買いませんかって。いやー、無理、無理ですとも、なんて断ったけど、やっぱ240RSはいいなあー、なんて妄想がぐるぐると。

聞くところによると、240RSは、もうエンジンパーツが無くてクランクシャフトはイギリスへ頼むのだそうです。一本40万円なのですが、国内オーナーはみんなでまとめて頼むのだとか。

それでようやく40万。直6エンジンのクランクなら、高いような、安いような・・・。レオーネにしても240RSにしても、こんなクルマをたった1台所有するだけでも並外れた覚悟が必要だよなあ・・・・。あ、いかんいかん、すぐ手が止まっちゃう。

ヤリスWRC、謎のメッセージ?

フィンランドでテストが始まったときから気になっていたヤリスWRCのサイドウィンドウに表示される謎のメッセージ。
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∞(無限大)を0で割るという数式、そして数字の1が描かれたフィンランド・テスト。
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そして月曜日からスペインで始まったテストでは、数字の2に置き換わっていることから、このマシンはグラベルテスト専用となるテストカーの2号車であるようです。しかし、その横の暗号は?

いよいよ快音を奏でて走り始めたヤリスWRC。ノンストップテストでマキネンのやる気も無限大モード? 

スバルWRブルー、絶大な人気です!

相変わらず賑やかだった静岡ホビーショー。ミニカーも模型も、クラブの合同展示会もにぎわっていたようです!

艦コレ人気に押されつつも、いつものようにラリーカー情報をピックアップしてお届けしようとしたのですが、まずはアオシマからこのサプライズ!

スバル・サンバーのプラモが出るなんて!
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おおっ、WRブルーリミテッドだっ!

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アオシマからは1/24日産240RS 83ニュージーランド・ラリー仕様もBEEMAXブランドで7月発売予定です。

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京商のミニラジコンのインプレッサは、なんと懐かしいペターのマシンですよ。

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京商からはビアジオンのシエラ・コスワース4x4も展示されていました。1/18なので1万6000円超えです。モービルカラーがあるなら、Q8カラーもそのうち出るか? そのほかにもフレンチブルーがきれいなゴルディーニとルノー11の・ラリーカーも!

クラブの展示にも気合いが入ったラリーカーがたくさんありました。
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なかでもこちらは77年サザンクロスで優勝したアールトネンの日産710バイオレット! つや消しのレトロなペイントがとてもいい雰囲気でした!

いつでもシビエはスタンバイ中だったのだ。

バッテリーが上がった原因をみつけてもらうために、ヒストリックラリーカーの駆け込み寺、オートスポーツイワセに行ってまいりました。
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バッテリーは幸いなことに完全放電していなかったので、じっくりと時間をかけて充電したところどうにか復活、さてさて、なにが悪さしていたのかチェックしてもらったところ、スイッチを切っていても、オルタネータからなんと補助灯のリレーに微弱な電流が流れていたことがわかりました。

レオーネには全部で6個のシビエ・オスカーが付いているのですが、このうち4個のランプがエンジンを切っていてもいつでもどこでも点灯可能な状態でスタンバイしていたわけです!
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そんなもの都内で点灯させて走ることもないので、とりあえずケーブルのカプラーを外して対処することになりました。ついでにちびて滑り出したオルタネータベルトを交換、さらにエアコン(!)にガスを補充してもらい、夏対策もばっちりです!
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もちろんサファリではエアコンなんてついてないわけですが、この30年の間にオーナーになった誰かがコンプレッサーを取り付けてくれたわけです。室内にはエアコンの吹き出し口は残っているものの、配管はそっくり取り払われているため、足元とフロントガラスの下にしか冷気は吹き出しません。

それでも25度を超え、夏が近いことを思わせるような陽気になった土曜日。あらためてエアコンのすばらしさを実感! いずれボディをレストアときにはエアコンをそっくり取り外してやろうと思っていましたが、帰りの首都高でその決意はぐらぐらと揺らいだのでありました。

今週、久しぶりに晴れた日にすこし走ろうと思ったところが、突然のバッテリー上がり。しまった! キルスイッチを切り忘れてましたっ! 
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週末なのでバッテリーを外して、チャージして様子をみてみたいと思います。こんなときには自宅ガレージをもっている人がうらやましいです。

それにしても原因はなんだったのでしょうか、室内にはランプはないけど、どこかのリレーかな。いや、まずはバッテリーを疑ってみたほうがいいか。
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ついでなのでバッテリーのあたりに手が届かなかったケーブルを引きずりだして埃とオイルを洗い流してみたりなんかして、ついでにバッテリーのステーもすこし磨いてみるか。
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いかーん、光りすぎ! 力まかせに磨きすぎたか。古いクルマは一カ所だけ不自然に光っちゃうと、おかしいんですよ。トホホ。

さてさて、そろそろバッテリーの充電も終わったころかな。うまくチャージできてるといいんだけど。あるいは、ほかになにか原因があるのか・・・。来週はポルトガル・ウィークだし、今週末はたっぷりイジリングするぞー!

ということで、深夜の作業、まだまだ続くのだ。

時代は移り変わる。

三菱自動車が日産自動車の傘下に入ることが決定的になったとの報道だ。三菱が今後、会社としてどのように存続するのかどうかは時間が経たなければわからないことだが、大好きだった会社やブランド、そしてクルマづくりが荒海に揉まれるように消えようとしているのは無念でならない。

同じ日、富士重工がSUBARUに社名変更するという発表があった。同じ時期に世界ラリー選手権で鎬を削ってきた両メーカーが、いっぽうは光を失い、いっぽうは輝かしい未来への決意を表明した日がこのように重なるとは。あのとき、両メーカーがこれほど違う未来に向かって進むとは正直想像もしていなかった。
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僕らが当時、話をうかがうことができた二つのメーカーの開発者たちは、いずれ劣らぬ無類のクルマ好きの人間たちだった。しかし、この二つのメーカーが決定的に異なっていたのは、経営トップがどれくらいクルマにまじめで、熱かったかと言う点に尽きるように思う。

三菱自動車は重工を代表とするグループを後ろ盾とした特殊な社風をもつ会社であることはよく知られていたが、上にモノさえ言えない社内の体質が急加速したのは、ダイムラー・クライスラーとの事業提携が決まり、それが破綻したころからだろうか。有能な技術者が次々と会社を去り、残念だったのは、三菱を愛して会社に残った人たちまでも何かを恐れるようにただ口を閉ざすようになってしまったことだ。

ダイムラー・クライスラーとの提携が破綻した経緯を知る者なら、誰だって三菱自動車がすんなり日産の傘下になるとは思わないだろう。現に三菱自動車の今日のプレスリリースには「傘下」ではなく、企業協力であるという意味である「企業アライアンス」という言葉でこの提携を表現しているように、両社の認識には早くも隔たりがあるように私には感じられる。

富士重は「スバルブランドを磨く取り組みを加速させ、『存在感と魅力ある企業』を目指す」という。新しい三菱はなにを目指すだろうか。あれほどの不正から立ち直るためには、もう上に向かってモノさえ言えない、あの社風とはさよならしてほしい。たとえブランドが変わったとしても、三菱の社員たちがクルマに熱い新しい経営陣に巡り会うことができることを願いたい。時代は移り変わる。10年経てば、きっと新しい未来が待っているはずだ。

日産も帰ってきてほしいものです。

ニスモの社長が4月から変わりました。先日、富士で行われたスーパーGTの時に片桐新社長の記者会見があったようですが、その言葉のなかに幾つかラリーというキーワードがポンと飛び出して、会場を驚かせたそうです。

「ヨーロッパに駐在した最後の4年弱はドイツでしたが、DTMをはじめWRCなどが非常に盛んで、それらが自動車のビジネスに役立っていることを目の当たりにしてきました。こういうことをニスモやニッサンの中でやっていきたいと思っています」(オートスポーツwebより)
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こちら1992年の1000湖ラリー。なんだか日産がひょっとしたらラリーに帰ってくるんじゃないかと期待したくなる言葉です。

片桐新社長自身もかつてイギリスでラリーに挑戦した経験もあるとのこと、ラリーファンの気持ちもかなり理解されているように感じました。

まぁ、すぐすぐ何か出てくるとかは無いでしょうけれど、ニスモの名前がついたベース車とかが出てくるのをまずは期待してみましょうよ!
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こちら去年からカナダでスタートしたマイクラカップのマシン。世界中のラリーでもマイクラが走り始めたら、いいね! 

雄叫びと抱擁とキラリと光る笑顔。

DTMと併催されたホッケンハイムRXで優勝して、「DTMファンの前で勝てて人生でこんなにうれしい表彰台はない」と歓喜の雄叫びを上げたエクストローム!
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今回のホッケンハイムはこの3年でもっとも厳しい予選・セミファイナルとも言われるくらい、ファイナルまでは厳しい道のりだっただけに、吠えましたね〜。素晴らしい表彰台でした。

もうひとつ素晴らしい表彰台がヨーロッパ選手権でもみられました。アクロポリス・ラリーではラトビア出身の21歳、シルマチスが初のR5マシンで超メジャーイベントに優勝しました。
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いやー驚かされました。コドライバーと、がしっと抱き合った表彰台から二人の喜びが伝わってくるようです。

一年前のラリー・リエパーヤのERCジュニア選手権であまりにも激しい追い上げをみせて、初めてマクレーERCトロフィーを受賞、一躍その名前が世界に知られることになりました。そのとき彼は、2013年にマクレー・トロフィーを獲ったルクヤヌクに憧れてきたと語りましたが、あれからほんとに1年でルクヤヌクをやっつけちゃうなんて! いやはや、速いやつは最初から速い!

そうそう素晴らしい表彰台といえば、もうひとり。世界ラリークロス選手権へのフル参戦するケン・ブロックが2戦目で表彰台に立ちました!
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キラリ光る笑顔。デコ・マウスピースが眩しいぜっ!

兵どもが夢のあと。

以前のブログで僕の田舎の山奥でもずっと昔にゼロヨンをやっていたなんて話を紹介しましたが、懐かしさのあまりその場所に行ってみることにしました。しかし、35年近くも昔のことですから、正確にはどこだったのかよくわかりませんでした。
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行けども行けどもまっすぐだけど、こんなにうねった道だったかなー。サーキット・オブ・アイルランドみたいに空飛んじゃいそうな道でした!

町役場に行けば、そのころの道路のことがなにかわかるかと思って行ってみたのですが、道路のことに詳しい方がGW休暇とのことでよくわかりませんでした。
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その代わり、町役場に置かれていたこのあたりのジオラマ模型を発見。こんなふうに農業構造改善でまっすぐな道がたくさん生まれていたのです。

やっぱりあのあたりのどこかだったのか、それともただの夢だったのかしらね・・・。よい子のみなさんは真似をしないでください。お休みはお終い、明日からまた仕事がんばりましょうか。 

トイボネンが亡くなってからもう30年。

5月2日はヘンリ・トイボネンが亡くなった命日でした。1986年のツール・ド・コルスで彼が亡くなってからもう30年になるんですね。

今年のフィンランドで弟のハリが、ヘンリが優勝したデルタS4でハルユのステージを激走するという楽しみなニュースを本日お伝えしました。フィンランドの主催者はこのニュースを彼の命日に発表したのです。
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(昨年のフィンランドで記念植樹に兄の代理として登場したハリ)

実をいうと、ヘンリとハリがどっちがお兄さんなのか時々ごちゃごちゃになるときがあることを告白しなければなりません。今日のニュースでも兄と弟が逆になってましたね、すみません!

言い訳するようですが、弟のハリのほうが昔から老け顔だったし、ヘンリはフィンランド人らしくなく、小柄で華奢な身体だったので当時からヘンリのほうが弟みたいだったんですよ。それにヘンリの時間は1986年で止まってしまったので、頭頂部もそれなりに怪しくなっているハリのほうがどうしても兄のように思ってしまうんですよ。

そういえば、ハリはあの事故のあとしばらくレーシングカーのドライブができなくなってしまい、往年の名ドライバーでもある父パウリからヘルメットを渡されて「早くドライブしてこい!」としかられたことがあったそうだよね。そんなこんなも、もう30年も前の話です。

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生きていれば今年60歳のヘンリ。4歳年下のハリ。老けたヘンリの顔なんて僕には想像できない。ハリがドライブするデルタS4に涙するファンは多いと思う。

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